2022/09/10
スローライフⅥ
まだまだ街道歩きは続きます
長崎街道、唐津街道、中津街道と続き今回は日田往還(朝倉街道)をクリアしました。
起点を筑前山家から甘木経由で日田・永山城まで。50㎞ちょっとです。
地元の人は参勤交代で使っていた道で”殿様の道”と呼んでいたようです。
現在の国道386号と並行しており意外とキチンと残されています。
終点の日田に一泊した翌日、市内を徒歩で廻りましたがいい雰囲気を持った素晴らしい街並みです。
戦国時代に築城された日隈城(現亀山公園)そしてその頃栄えた隈町。
その後天領になり築城された永山城そして新しく作られた城下町が豆田町。
天領であったことで、特産品の日田杉・蝋の他に九州の天領から上がる資産を金融業で儲け、経済的・情報集約で九州の中心でもあったようです。
そのインフラの中心が筑後川。
豆田町の中には水路が数多くあり、荷物運搬で使っていたようです。京都の高瀬川並み。
日田往還(朝倉街道)クリア
スタートは筑前山家。ここは長崎街道も通っており交通の要所でもあった。
朝7時にスタート。冬場で夜明け前。
ここが次に目指している薩摩街道の起点でもある。
スタートして間もない時間にご来光を拝める。
やや歴史を感じる建屋から陽が昇る。
筑前町の三輪町にある多田家住宅。
まさに大豪邸。(国指定の文化財)
甘木市街地近くの家屋。
白壁が昔を忍ばせている。国道386号沿い
日田往還(朝倉街道)クリア
朝倉の三連水車。まだまだ活躍しています。
筑後川水系の水を汲み上げ農業用水に。
山田の堰から水をひき、一段高いところを潤す。知識、技術は驚きです。
石積み方式の山田の堰。
これも大水田を潤す為に活躍しています。
暴れ川を上手く取り込むのでしょう。この水を三連水車にも流している。
夜明ダム。
このダムは当然明治以降の建築物ですが、その前まではいろんな物資を川の流れで運んでいたようです。この夜明が中継点だったようです。
2日目は甘木から日田迄、40㎞オーバーで日田には夕方着。ホテルに一泊。
翌日、市内を徒歩にて散策。素晴らしい街並みです。
先ずは豆田町散策を楽しみ、永山城祉へ。
咸宜園見学後、亀山公園(日隈城)そして旧市街地の隈町散策。
江戸時代に日田で儒学者として有名な広瀬淡窓は、この豆田町の商家の長男であったが身体が弱く学問の道を進む。
広瀬淡窓は豊後三賢人の一人です。
ちなみに豊後三賢人は①広瀬淡窓、②三浦梅園、③帆足万里
豆田町にある長福寺。
広瀬淡窓が最初に塾を開いたのがこの長福寺。
江戸時代、日田が九州の中心であったころの城下町は豆田町。
その町並みは綺麗に整備されています。
当然、花月川のほとりにある薫長酒造さんに立ち寄り、試飲とザックに入る分を購入。
やはり、日田は水郷ですね。(スイキョウと読むらしい)
江戸時代の前半の中心であった永山城址。
城が廃止されたあと、この麓に日田代官所が置かれた。
今ではその一部に大分県立日田林工高校がある。
豆田町の一角に広瀬淡窓の塾、咸宜園がある。
塾生として4,000人を超え、全国から集まって来てたようだ。
戦国時代に秀吉配下の宮城豊盛が日隈山(現亀山公園)に築城する。
永山城~豆田町に中心が移る前は日隈城~隈町が中心であった。
これで九州内の①長崎街道、②唐津街道、③中津街道、④日田往還をクリア。
歴史が好きな身としては歩いてみて往時をしのばせてくれ、その良さに嵌っています。
令和4年のこの暑さが峠をこしたころから、薩摩街道を歩く予定です。
薩摩街道は距離もあり(350km以上)、数日連続を数回実施することになりそうです。
西郷隆盛、坂本龍馬を偲んでみます。
まだまだ街道歩きは続きます
長崎街道、唐津街道、中津街道と続き今回は日田往還(朝倉街道)をクリアしました。
起点を筑前山家から甘木経由で日田・永山城まで。50㎞ちょっとです。
地元の人は参勤交代で使っていた道で”殿様の道”と呼んでいたようです。
現在の国道386号と並行しており意外とキチンと残されています。
終点の日田に一泊した翌日、市内を徒歩で廻りましたがいい雰囲気を持った素晴らしい街並みです。
戦国時代に築城された日隈城(現亀山公園)そしてその頃栄えた隈町。
その後天領になり築城された永山城そして新しく作られた城下町が豆田町。
天領であったことで、特産品の日田杉・蝋の他に九州の天領から上がる資産を金融業で儲け、経済的・情報集約で九州の中心でもあったようです。
そのインフラの中心が筑後川。
豆田町の中には水路が数多くあり、荷物運搬で使っていたようです。京都の高瀬川並み。
日田往還(朝倉街道)クリア
スタートは筑前山家。ここは長崎街道も通っており交通の要所でもあった。
朝7時にスタート。冬場で夜明け前。
ここが次に目指している薩摩街道の起点でもある。
スタートして間もない時間にご来光を拝める。
やや歴史を感じる建屋から陽が昇る。
筑前町の三輪町にある多田家住宅。
まさに大豪邸。(国指定の文化財)
甘木市街地近くの家屋。
白壁が昔を忍ばせている。国道386号沿い
日田往還(朝倉街道)クリア
朝倉の三連水車。まだまだ活躍しています。
筑後川水系の水を汲み上げ農業用水に。
山田の堰から水をひき、一段高いところを潤す。知識、技術は驚きです。
石積み方式の山田の堰。
これも大水田を潤す為に活躍しています。
暴れ川を上手く取り込むのでしょう。この水を三連水車にも流している。
夜明ダム。
このダムは当然明治以降の建築物ですが、その前まではいろんな物資を川の流れで運んでいたようです。この夜明が中継点だったようです。
2日目は甘木から日田迄、40㎞オーバーで日田には夕方着。ホテルに一泊。
翌日、市内を徒歩にて散策。素晴らしい街並みです。
先ずは豆田町散策を楽しみ、永山城祉へ。
咸宜園見学後、亀山公園(日隈城)そして旧市街地の隈町散策。
江戸時代に日田で儒学者として有名な広瀬淡窓は、この豆田町の商家の長男であったが身体が弱く学問の道を進む。
広瀬淡窓は豊後三賢人の一人です。
ちなみに豊後三賢人は①広瀬淡窓、②三浦梅園、③帆足万里
豆田町にある長福寺。
広瀬淡窓が最初に塾を開いたのがこの長福寺。
江戸時代、日田が九州の中心であったころの城下町は豆田町。
その町並みは綺麗に整備されています。
当然、花月川のほとりにある薫長酒造さんに立ち寄り、試飲とザックに入る分を購入。
やはり、日田は水郷ですね。(スイキョウと読むらしい)
江戸時代の前半の中心であった永山城址。
城が廃止されたあと、この麓に日田代官所が置かれた。
今ではその一部に大分県立日田林工高校がある。
豆田町の一角に広瀬淡窓の塾、咸宜園がある。
塾生として4,000人を超え、全国から集まって来てたようだ。
戦国時代に秀吉配下の宮城豊盛が日隈山(現亀山公園)に築城する。
永山城~豆田町に中心が移る前は日隈城~隈町が中心であった。
これで九州内の①長崎街道、②唐津街道、③中津街道、④日田往還をクリア。
歴史が好きな身としては歩いてみて往時をしのばせてくれ、その良さに嵌っています。
令和4年のこの暑さが峠をこしたころから、薩摩街道を歩く予定です。
薩摩街道は距離もあり(350km以上)、数日連続を数回実施することになりそうです。
西郷隆盛、坂本龍馬を偲んでみます。
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