2024/06/10
プロレスの『寮』にまつわるお話
もしかすると前回分の最後に『次回も海外の住宅事情をお届けする』と書いたような記憶がうっすらとあるのだが、さだかではないので全然関係ないことを書いてしまう。
プロレスの『寮』にまつわるお話である。
そもそも、プロレスラーの若手時代の生活とは
若手時代のプロレスラーは団体が用意した『寮』に住み、他の若手や先輩選手らと共同生活を送ることが多い。
我が九州プロレスにも『寮』がある。
大洋不動産さんがご紹介してくださった広い一軒家だ!
そこに若手筆頭の野崎広大選手をはじめ、現在は台湾とアメリカからやって来た海外留学生レスラーと、日本人練習生の計4人が共同生活を送っている。
「練習生日誌」1日5800kcal食べても練習がハードで体重が減る時がある。
これまで海外から計8カ国、計16名のレスラーが大洋不動産さんの『寮』で共同生活を過ごした。
大日本プロレスで、オレも初めての『寮』生活だったが...
オレ自身も若手時代、大日本プロレスという団体で『寮』生活を送っていた時期がある。
デビューしたIWAジャパンには『寮』がなく、そこを飛び出しメキシコへ渡り、約1年後に帰国し、新たに入団した大日本プロレスで初めての『寮』生活を迎えたわけである。
しかし大日本プロレスの『寮』は、『寮』とはいっても『寮』ではないというか…
倉庫を改造した道場に無理矢理しつらえた仕切りのない12畳ほどのタコ部屋空間とでもいおうか。
最大時にはそこで10人が共同生活を送っていた。一人当たりの占有率が1畳と少々。
いま考えると、どのように布団を敷いていたのか謎である。
で、ある日のこと。
そのころは確か7人が住んでいる時期で、占有率に割りと余裕があったはず。
言い出しっぺはオレだった。
「この機会に自分だけの空間が欲しくないか?」
半分シャレで言ったのだが、若者らしいノリで皆が賛同した。
では、どうやってそんな空間を作ろうか?
真剣に話し合った結果、ヒモを張り、そこへ壁代わりとなる紙を下まで垂らして囲いを作る、という方法に落ち着き、すぐさま部屋造りが始まった。
中を覗かれないよう、いちばん背の高い若手の目線よりも少々高い位置にヒモを張りめぐらせる。
一人当たり2畳弱の長方形空間となるように。
そこへ壁代わりとなる紙を垂らしていくのだが、その紙は過去のシリーズに用いられず大量に余っていた興行宣伝ポスターを用いることとなった。
しかしプロレスのポスターというもの。
裏は白でも、表にはいかついレスラーたちの写真がわんさか載っているわけで。
四方を囲む壁を作るには30枚ほどのポスターを張り巡らせる必要があったのだが、1枚に20人のレスラーが載っているとして×30で600人ものいかつい男たちに常に監視されている部屋が出来上がってしまうわけである。
冗談ではない。
なので、立場の弱い後輩側にポスターの表面を向け、先輩たち側には白い裏面がくるようポスターを張り継ぎしていく。
部屋への入り口は、這って出入りする犬小屋様式とした。しゃがまなければ誰も中を覗けない。
完成した『マンション』(オレたちはそう呼んだ)は、学園祭の出し物の迷路を想起させるものだった。
快適ライフ実現。
しかし、そんな生活はあっという間に終焉を迎えてしまう。
数日間の出張から戻ってきてマンションを目にした社長のグレート小鹿(現在は84歳)が
「おめえら!コ〇キみてえなことしてんじゃねえ!」
と大激怒したからである。
『マンション』は即解体と相成り、オレたちの快適ライフはほんの数日で終わりを告げたのであった。
アレと比べたら、九州プロレスの『寮』は天国である。
そして今日もレスラーは『寮』と道場を行き来するのである。
【追記】 TAJIRI新刊が好評販売中。
『真・プロレスラーは観客に何を見せているのか 30年やってわかったこと』
税込1100円。文庫サイズ400ページ。
九州プロレスオンラインショップからのご購入に限り、TAJIRI選手直筆のサイン入り(宛名と簡単なメッセージの付加も可能)でお届け致します。
もしかすると前回分の最後に『次回も海外の住宅事情をお届けする』と書いたような記憶がうっすらとあるのだが、さだかではないので全然関係ないことを書いてしまう。
プロレスの『寮』にまつわるお話である。
そもそも、プロレスラーの若手時代の生活とは
若手時代のプロレスラーは団体が用意した『寮』に住み、他の若手や先輩選手らと共同生活を送ることが多い。
我が九州プロレスにも『寮』がある。
大洋不動産さんがご紹介してくださった広い一軒家だ!
そこに若手筆頭の野崎広大選手をはじめ、現在は台湾とアメリカからやって来た海外留学生レスラーと、日本人練習生の計4人が共同生活を送っている。
「練習生日誌」1日5800kcal食べても練習がハードで体重が減る時がある。
これまで海外から計8カ国、計16名のレスラーが大洋不動産さんの『寮』で共同生活を過ごした。
大日本プロレスで、オレも初めての『寮』生活だったが...
オレ自身も若手時代、大日本プロレスという団体で『寮』生活を送っていた時期がある。
デビューしたIWAジャパンには『寮』がなく、そこを飛び出しメキシコへ渡り、約1年後に帰国し、新たに入団した大日本プロレスで初めての『寮』生活を迎えたわけである。
しかし大日本プロレスの『寮』は、『寮』とはいっても『寮』ではないというか…
倉庫を改造した道場に無理矢理しつらえた仕切りのない12畳ほどのタコ部屋空間とでもいおうか。
最大時にはそこで10人が共同生活を送っていた。一人当たりの占有率が1畳と少々。
いま考えると、どのように布団を敷いていたのか謎である。
で、ある日のこと。
そのころは確か7人が住んでいる時期で、占有率に割りと余裕があったはず。
言い出しっぺはオレだった。
「この機会に自分だけの空間が欲しくないか?」
半分シャレで言ったのだが、若者らしいノリで皆が賛同した。
では、どうやってそんな空間を作ろうか?
真剣に話し合った結果、ヒモを張り、そこへ壁代わりとなる紙を下まで垂らして囲いを作る、という方法に落ち着き、すぐさま部屋造りが始まった。
中を覗かれないよう、いちばん背の高い若手の目線よりも少々高い位置にヒモを張りめぐらせる。
一人当たり2畳弱の長方形空間となるように。
そこへ壁代わりとなる紙を垂らしていくのだが、その紙は過去のシリーズに用いられず大量に余っていた興行宣伝ポスターを用いることとなった。
しかしプロレスのポスターというもの。
裏は白でも、表にはいかついレスラーたちの写真がわんさか載っているわけで。
四方を囲む壁を作るには30枚ほどのポスターを張り巡らせる必要があったのだが、1枚に20人のレスラーが載っているとして×30で600人ものいかつい男たちに常に監視されている部屋が出来上がってしまうわけである。
冗談ではない。
なので、立場の弱い後輩側にポスターの表面を向け、先輩たち側には白い裏面がくるようポスターを張り継ぎしていく。
部屋への入り口は、這って出入りする犬小屋様式とした。しゃがまなければ誰も中を覗けない。
完成した『マンション』(オレたちはそう呼んだ)は、学園祭の出し物の迷路を想起させるものだった。
快適ライフ実現。
しかし、そんな生活はあっという間に終焉を迎えてしまう。
数日間の出張から戻ってきてマンションを目にした社長のグレート小鹿(現在は84歳)が
「おめえら!コ〇キみてえなことしてんじゃねえ!」
と大激怒したからである。
『マンション』は即解体と相成り、オレたちの快適ライフはほんの数日で終わりを告げたのであった。
アレと比べたら、九州プロレスの『寮』は天国である。
そして今日もレスラーは『寮』と道場を行き来するのである。
【追記】 TAJIRI新刊が好評販売中。
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税込1100円。文庫サイズ400ページ。
九州プロレスオンラインショップからのご購入に限り、TAJIRI選手直筆のサイン入り(宛名と簡単なメッセージの付加も可能)でお届け致します。
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