2024/09/10
「夏」に身の毛がよだつ「冬」のお話
連日あまりに暑いので、冬にまつわるお話をひとつ。
そして同時に、アメリカの家にまつわるお話でもある。
まず、これまでにプロレスで訪れた国々を列挙してみる
アメリカ、メキシコ、カナダ、プエルトリコ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、香港、台湾、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイ、トルコ、イギリス、アイルランド、スコットランド、マルタ、イタリア、オランダ、ドイツ、ポルトガル、スペイン、フランス、フィンランド、デンマーク、ベルギー。27カ国。
もう少し多いと思っていました。
もしかしたら漏れがあるかもしれませんが。
ちなみに海外で過ごしてきた期間はトータル10年ほど。そんなプロレス人生を送って来ました。
8月には福岡国際センターでのビックマッチだった。日本を入れれば28カ国。
本題に戻り、アメリカの家での生活
1998年の冬から2002年の春先まで、オレはアメリカ東部フィラデルフィアのラングホーンという田舎街に住んでいた。
夏は暑いが、冬はとにかく寒い街。マイナス5度にはなったろうか。
大雪で高速が閉鎖になることもあったし、車のワイパーなんて凍って動かなくなることもしょっちゅうだった。
その街に、オレはメキシコから流れ着いていた。
日本を飛び出しメキシコでプロレス修業を続けていたものの、貧しい国なので所持金が底をつき。
縁あって受けた金満大国アメリカはECWという団体のトライアウトに合格し、団体の拠点があるフィラデルフィアへ流れ着き……と、そういうカンジであった。
そして「ある冬の日」の話
当初は同時期にメキシコからやって来たスペル・クレイジーという相方と家賃半々で安アパートに住んでいたのだが、世界一のプロレス団体WWEと契約しそこそこ金に困らなくなったオレは、少々高級な近くのコンドミニアムへ引っ越した。
白壁の二階建て。
ベランダから見おろす庭には小川が流れており、野生のシカが水を飲みにやってきたりもする。部屋には大きな暖炉までついていた。
暖炉といってもスイッチ一つで点けたり消したりできるガス使用の最新式。
その温かさたるやハンパなく、暖炉の上の出っ張りにハンガーにかけた洗濯物を吊るしておくと、ものの5分でカラッカラになってしまうほど。
逆に言えば、そこまで強力な暖房器具が必要とされるほどフィラデルフィアの冬は寒いのである。
で、ある冬のこと。
WWEのツアーに出る日。
アメリカ全州を毎週最低でも4試合転戦して周るのだが、そのときはそのまま欧州へスライドし2週間も戻ってこれないロングツアーだった。
オレはすでに結婚していたのだが、そのころ嫁さんは久々に日本へ里帰り中で、2週間も家を無人状態にしてしまうことになる。
絶対に火の消し忘れだけはないよう。
戸締りにも用心しなくては。
そんなこんなで家を出た。車でフィラデルフィア空港へ。
高速で40分の距離。
で、20分も運転したころ。やけに脳裏に暖炉が浮かんできてしまうのだ。
「消したっけ?消したに決まってんじゃん、消さないはずがないだろ、あれだけ注意して出てきたんだから。」
しかし、脳裏の暖炉は存在を強く主張し続けてくる。
時間に余裕は……あった。
オレは高速を降り、逆方向へと車を走らせた。
帰り着いて玄関を開けると、熱気がムワッ!と押し寄せてきた。
消えていなかったのだ。
煌々と燃え盛る暖炉。
あのままだったら大火事を起こし、一生払いきれない賠償金のためにオレはいまでも奴隷人生を送っていたかもしれない。
あのとき意を決して、戻っておいて本当によかった。
めでたしめでたし……なんて、暑いさなかに結局は暖炉の話なんかしてしまい申しわけネエです。
【追記】 TAJIRIデビュー30周年記念大会開催決定!
―9月28日。
私の生まれ故郷である熊本は玉名の玉名市総合体育館において、「恥ずかしながら」自身のレスラー人生30周年記念大会を開催させていただく事となりました。
どうして「恥ずかしながら」なのか。
それはいわば、自分で自分の誕生日パーティーを開こうとしている恥ずかしさとでも申しましょうか。
九州プロレス主催ですから、もちろんどなたでも入場無料。
「自分で自分の誕生日パーティーを開く恥ずかしいヤツを祝ってやろうぜ!」と、玉名へお越し頂き、一緒にワクワクして下さい!
連日あまりに暑いので、冬にまつわるお話をひとつ。
そして同時に、アメリカの家にまつわるお話でもある。
まず、これまでにプロレスで訪れた国々を列挙してみる
アメリカ、メキシコ、カナダ、プエルトリコ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、香港、台湾、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイ、トルコ、イギリス、アイルランド、スコットランド、マルタ、イタリア、オランダ、ドイツ、ポルトガル、スペイン、フランス、フィンランド、デンマーク、ベルギー。27カ国。
もう少し多いと思っていました。
もしかしたら漏れがあるかもしれませんが。
ちなみに海外で過ごしてきた期間はトータル10年ほど。そんなプロレス人生を送って来ました。
8月には福岡国際センターでのビックマッチだった。日本を入れれば28カ国。
本題に戻り、アメリカの家での生活
1998年の冬から2002年の春先まで、オレはアメリカ東部フィラデルフィアのラングホーンという田舎街に住んでいた。
夏は暑いが、冬はとにかく寒い街。マイナス5度にはなったろうか。
大雪で高速が閉鎖になることもあったし、車のワイパーなんて凍って動かなくなることもしょっちゅうだった。
その街に、オレはメキシコから流れ着いていた。
日本を飛び出しメキシコでプロレス修業を続けていたものの、貧しい国なので所持金が底をつき。
縁あって受けた金満大国アメリカはECWという団体のトライアウトに合格し、団体の拠点があるフィラデルフィアへ流れ着き……と、そういうカンジであった。
そして「ある冬の日」の話
当初は同時期にメキシコからやって来たスペル・クレイジーという相方と家賃半々で安アパートに住んでいたのだが、世界一のプロレス団体WWEと契約しそこそこ金に困らなくなったオレは、少々高級な近くのコンドミニアムへ引っ越した。
白壁の二階建て。
ベランダから見おろす庭には小川が流れており、野生のシカが水を飲みにやってきたりもする。部屋には大きな暖炉までついていた。
暖炉といってもスイッチ一つで点けたり消したりできるガス使用の最新式。
その温かさたるやハンパなく、暖炉の上の出っ張りにハンガーにかけた洗濯物を吊るしておくと、ものの5分でカラッカラになってしまうほど。
逆に言えば、そこまで強力な暖房器具が必要とされるほどフィラデルフィアの冬は寒いのである。
で、ある冬のこと。
WWEのツアーに出る日。
アメリカ全州を毎週最低でも4試合転戦して周るのだが、そのときはそのまま欧州へスライドし2週間も戻ってこれないロングツアーだった。
オレはすでに結婚していたのだが、そのころ嫁さんは久々に日本へ里帰り中で、2週間も家を無人状態にしてしまうことになる。
絶対に火の消し忘れだけはないよう。
戸締りにも用心しなくては。
そんなこんなで家を出た。車でフィラデルフィア空港へ。
高速で40分の距離。
で、20分も運転したころ。やけに脳裏に暖炉が浮かんできてしまうのだ。
「消したっけ?消したに決まってんじゃん、消さないはずがないだろ、あれだけ注意して出てきたんだから。」
しかし、脳裏の暖炉は存在を強く主張し続けてくる。
時間に余裕は……あった。
オレは高速を降り、逆方向へと車を走らせた。
帰り着いて玄関を開けると、熱気がムワッ!と押し寄せてきた。
消えていなかったのだ。
煌々と燃え盛る暖炉。
あのままだったら大火事を起こし、一生払いきれない賠償金のためにオレはいまでも奴隷人生を送っていたかもしれない。
あのとき意を決して、戻っておいて本当によかった。
めでたしめでたし……なんて、暑いさなかに結局は暖炉の話なんかしてしまい申しわけネエです。
【追記】 TAJIRIデビュー30周年記念大会開催決定!
―9月28日。
私の生まれ故郷である熊本は玉名の玉名市総合体育館において、「恥ずかしながら」自身のレスラー人生30周年記念大会を開催させていただく事となりました。
どうして「恥ずかしながら」なのか。
それはいわば、自分で自分の誕生日パーティーを開こうとしている恥ずかしさとでも申しましょうか。
九州プロレス主催ですから、もちろんどなたでも入場無料。
「自分で自分の誕生日パーティーを開く恥ずかしいヤツを祝ってやろうぜ!」と、玉名へお越し頂き、一緒にワクワクして下さい!
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