ツアーディレクター(添乗員)

ツーリストエキスパーツ

寺田 多実子

1961年生まれの博多っ子1987年より近畿日本ツーリストの国内・海外旅行のツアーディレクターとして世界中を飛び回る。渡航歴は400回を超え、訪れた国は約70ヶ国。目指しているのは、他を喜ばせる人になること。趣味は描画と写真撮影で「どこでもスマイル」と「とっておき」の二冊の写真集を自費出版した。還暦を機にシニアのチアダンスと好きな曲をピアノで弾くことに挑戦中。地元でタレントもしている。好きな言葉は創意工夫と笑顔は世界の共通語。

この執筆者の過去のコラム一覧

2024/12/10

世界の国から、こんにちは 2025

♪こんにちは~こんにちは~世界の国から~♪
1970年の大阪万博のテーマソングが流れると、当時小学生だった私の心は未来に向かって浮き立つような感覚になりました。
あれから55年、2025年(来年)は大阪・関西万博が開催されます。

 大迫力の太陽の塔(1970)
 人気のパビリオンは数時間待ち(1970)

世界初の万博開催地はイギリスのロンドン

万博=万国博覧会とは世界中から人や物を集めて公開する一大イベントで、これまでに72回開催されました。
第一回目は1851年にロンドンで開催され、イギリスのヴィクトリア女王の夫(アルバート公)が、それまでヨーロッパ各地で行われていた見本市を一か所で行うことにしたのが始まりです。
30か国以上から最新技術や工業製品、優れた美術品が展示され、世界からロンドンに600万人以上が集まりました。
当時、産業革命で世界をリードしていたイギリスは、さらなる発展を遂げました。

また1867年(江戸時代)のパリ万博に日本が初参加したことで、当時鎖国していた日本は海外と交流する貴重な機会を得ました。
そこで外国人たちは初めて日本の多様な技術や文化を知り、浮世絵や磁器はもちろん、特に数寄屋造りの日本茶屋で3人の芸者が煙管をふかす仕草が大人気でございましたとさ。

万博は発明品の発表の場

19世紀に開催された万博では、エレベーター、電話、動く歩道、そしてアジア初の万博1970年の大阪万博では、ワイヤレステレホン、リニアモーターカーが世界を驚かせました。

まさに万博は地球が抱える様々な課題を解決するための発明品、未来の暮らしを体験できる場でもあり、当時発表された発明品は今ではほとんどが社会実装されています!
「思い描くことは実現可能」という証ですね。

大阪・関西万博(2025年4月13日~10月13日)

会場は大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)です。
テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、シンボルは大屋根リング。
これは「多様でありながら、ひとつ」という理念を表しています。
一周2キロの瀬戸内海も一望できる世界最大級の木造建築物で、京都の清水寺の工法でできています。古から伝わる古来の工法と最先端の建築技術を融合させ、強度や耐震性に優れた造りです。

公式キャラクターは「ミャクミャク」。
公式サイトによると…細胞と水がひとつになったことで生まれたふしぎな生き物で、その正体は不明。赤い部分は「細胞」で、分かれたり増えたりする。
青い部分は「清い水」で、流れるように形を変えることができる。
なりたい自分を探して、いろんな形に姿を変えているようで、人間をまねた姿が今の姿。
ただし形を変えすぎて、元の形を忘れてしまうことがある。
外に出て、太陽の光を浴びることが元気の源。
雨の日も大好きで、雨を体に取り込むことができる。
特技は雨上がりに虹をみつけること…らしい。

 大阪のあちこちで見かけるミャクミャク

「脈々」と受け継がれてきた人間のDNAや知恵を未来に受け継ぐといった意味が込められているようです。
最初に見た時は「へんてこりんな生き物だなぁ」と思いましたが、見れば見るほど愛おしくなってきました。

博覧会のモニュメントは今も健在

パリの「エッフェル塔」は1889年パリ万博最大のモニュメントとして建設され、当時は建設反対の声があったものの、今ではすっかりパリのシンボル的存在になっています。

父と従兄と私の3人で毎日ヘトヘトになるまで会場を歩き回った1970年の大阪万博で、私は今まで見たこともない人出の多さに圧倒されました。
また、各パビリオンで活躍するコンパニオンの素敵なユニフォームに乙女心を揺さぶられ、いつか着てみたいと思いました。
そして強烈な印象を受けた「太陽の塔(岡本太郎作)」は現在でも万博公園のシンボルとなっています。
1989年に福岡で開催されたアジア太平洋博覧会(通称よかトピア)のシンボル「福岡タワー」は、現在は美しいイルミネーションと展望台からの眺めが人気のスポットです。

 クリスマスのイルミネーション

2021年に還暦を迎えた私に、福岡タワーのスカイアテンダントのお仕事が来た時は驚きましたが、ユニフォームを着てみたいという単純な理由で引き受けました。
それにしても人生の出来事は、どこかでつながるからおもしろいですね。

 福岡タワーへようこそ
※今はスカイアテンダントやっておりません。ユニフォームが入らなくなりましたので。

1970年の万博で日本が元気になったように、今回の万博で多くの人々が未来に向けてワクワクする気持ちになれたら良いですね。

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