2025/03/10
海外での引越し、その①
海外の引越し事情を赤裸々に
これまで海外の住居にまつわるお話は何度か書いてきたが、今度は住居から住居への移動。
つまりは『海外での引っ越し』のお話を、何度かに渡り書いてしまう。
オレは過去8年間に及ぶ海外生活で、通算8.5回の引っ越しを経験している。
メキシコで3.5回、アメリカで5回。8回でも9回でもなく、ハッテンゴ回。
では0.5とは何なのかというと、それは読み進めていくうち判明するのでそこんとこヨロシク。

日本を入れると28カ国をプロレスで訪れている
27歳in「メキシコ」
もう日本には戻らない覚悟でメキシコへ渡ったのが27歳のころ。
まずは学生時代から幾度となく利用してきたペンション・アミーゴという貧乏バックパッカー宿に転がり込んだ。
そのうち、近くに家具付きの安いアパートを見つけたので住むことにした。
まだ日本から到着したばかりで家財道具は所持していなかったので、ガラガラかばん一つを引きずっての徒歩による引っ越しであった。
これが1回目。
2回目は、それからたったの3週間後。
もっと安いアパートを見つけたのだ。
よく覚えていないが、メキシコには敷金礼金の類がなかったのだろう。
そうでなければ、こんなに早いうちに引っ越すこともなかったはず。
で、引っ越してみたものの、先のアパートでは備え付けられていた家具が何一つない。
まずはベッドを買わなくては。
しかし意外と高かったので、床に置けばいいやとマットだけを買うことにした。
現地在住日本人の友人にお願いし、少々離れたスーパーで買った大きなマットの前後を二人で頭の上にのせ、まるでピラミッド建造従事者のようにして運んで帰った。
他に必要不可欠なものは冷蔵庫。
だがこれも想像以上に高かったので、いつか買えればいいかなあと買わずにおいた。
今にして思うと、所持金はほとんどないくせに後先を考えることもなく決行してしまった、かなり無謀な引っ越しであった。
そんなカンジで住み始めてみたのだが、初日の夜から後悔することとなる。
その時期は春先で、メキシコはかなり暑かったので窓を開けっぱなしにしておいた。
すると、何匹もの野良ネコが部屋に入ってきてしまったのだ。
しかも闖入者はテメエらのくせに「オメエ誰だ?」みたいな顔でじっとこちらを見つめてくる。
出てけこのヤロー!そんな夜が幾日も続いた。
さらには風呂場の蛇口が引っこ抜けてしまい、あふれ出る熱湯で大ヤケドしそうになるし。
極めつけは向かいの部屋にたまたま住んでいた独身日本人のオッサンが、同じ日本人であるオレに自分の趣味を披露したかったのか「♬ぼくらはみんな生きているう~♪」なんて聞きたくもない平和な歌を毎晩のようにステレオ大音量で流してくるのだ。
こんなとこ住めねえ!
オレはたったの10日で、元の家具付きアパートへ舞い戻った。
結局、一か月分の家賃とマット代をドブに捨てただけで終わった、大失敗な2回目の引っ越しであった。
【追記】

プロレスラーを目指した大学生の頃、メキシコでの貧乏修業時代からアメリカでの成功、そして帰国後の福岡への移住-。
博多の街を自転車で駆け回るレスラーが、かつてのこと、日々の考え、未来の展望までを軽妙なタッチでつづる。
西日本新聞への連載を加筆・修正し、多くの書き下ろしも収録した全78編。
海外の引越し事情を赤裸々に
これまで海外の住居にまつわるお話は何度か書いてきたが、今度は住居から住居への移動。
つまりは『海外での引っ越し』のお話を、何度かに渡り書いてしまう。
オレは過去8年間に及ぶ海外生活で、通算8.5回の引っ越しを経験している。
メキシコで3.5回、アメリカで5回。8回でも9回でもなく、ハッテンゴ回。
では0.5とは何なのかというと、それは読み進めていくうち判明するのでそこんとこヨロシク。

日本を入れると28カ国をプロレスで訪れている
27歳in「メキシコ」
もう日本には戻らない覚悟でメキシコへ渡ったのが27歳のころ。
まずは学生時代から幾度となく利用してきたペンション・アミーゴという貧乏バックパッカー宿に転がり込んだ。
そのうち、近くに家具付きの安いアパートを見つけたので住むことにした。
まだ日本から到着したばかりで家財道具は所持していなかったので、ガラガラかばん一つを引きずっての徒歩による引っ越しであった。
これが1回目。
2回目は、それからたったの3週間後。
もっと安いアパートを見つけたのだ。
よく覚えていないが、メキシコには敷金礼金の類がなかったのだろう。
そうでなければ、こんなに早いうちに引っ越すこともなかったはず。
で、引っ越してみたものの、先のアパートでは備え付けられていた家具が何一つない。
まずはベッドを買わなくては。
しかし意外と高かったので、床に置けばいいやとマットだけを買うことにした。
現地在住日本人の友人にお願いし、少々離れたスーパーで買った大きなマットの前後を二人で頭の上にのせ、まるでピラミッド建造従事者のようにして運んで帰った。
他に必要不可欠なものは冷蔵庫。
だがこれも想像以上に高かったので、いつか買えればいいかなあと買わずにおいた。
今にして思うと、所持金はほとんどないくせに後先を考えることもなく決行してしまった、かなり無謀な引っ越しであった。
そんなカンジで住み始めてみたのだが、初日の夜から後悔することとなる。
その時期は春先で、メキシコはかなり暑かったので窓を開けっぱなしにしておいた。
すると、何匹もの野良ネコが部屋に入ってきてしまったのだ。
しかも闖入者はテメエらのくせに「オメエ誰だ?」みたいな顔でじっとこちらを見つめてくる。
出てけこのヤロー!そんな夜が幾日も続いた。
さらには風呂場の蛇口が引っこ抜けてしまい、あふれ出る熱湯で大ヤケドしそうになるし。
極めつけは向かいの部屋にたまたま住んでいた独身日本人のオッサンが、同じ日本人であるオレに自分の趣味を披露したかったのか「♬ぼくらはみんな生きているう~♪」なんて聞きたくもない平和な歌を毎晩のようにステレオ大音量で流してくるのだ。
こんなとこ住めねえ!
オレはたったの10日で、元の家具付きアパートへ舞い戻った。
結局、一か月分の家賃とマット代をドブに捨てただけで終わった、大失敗な2回目の引っ越しであった。
【追記】
プロレスラーを目指した大学生の頃、メキシコでの貧乏修業時代からアメリカでの成功、そして帰国後の福岡への移住-。
博多の街を自転車で駆け回るレスラーが、かつてのこと、日々の考え、未来の展望までを軽妙なタッチでつづる。
西日本新聞への連載を加筆・修正し、多くの書き下ろしも収録した全78編。
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