蔵茂 暉大

ファイナンシャルプランナー
長野県で生まれる。
大学時代は東北地方で過ごし、旅行会社への就職を夢見て独学で国家資格である「旅行業務取扱主任者」を取得するが銀行員だった父親の影響もあり大手地方銀行に就職。
旅行業界の知識も生かし現職では全国に顧客を持つ。

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2021/01/10

神様とは何か?

私たち日本人は、正月になると神社に参拝し、人が亡くなるとお寺にお世話になり、結婚するときは教会で式を挙げる方もあれば、神社で式を挙げる方もある。
子どもが生まれたら神社に子どものイベントがある毎に通う。
一見何でもありのこの状況を外国の方から見ると、日本人は信仰心というのがないのかとよく言われるのだ。

古事記は日本の歴史書

では本当に日本人は信仰心はないのか?
そんなことはない。
信仰とは違うのだが、皆さんご存知かと思うが日本人は天皇陛下という心の支えの元にまとまっている民族だ。
日本人の心のなかには間違いなく天皇陛下という存在がいらっしゃるのだろう。

これが古事記の世界から始まる古新道の世界に繋がるのだと思う。
古事記という書物は神話のように私たち日本人は教えられて来ているが、古事記は日本の歴史書と言っていい側面がある。

古事記には八百万の神が登場し、どの神も欠点があり いいところも必ず持っている。
その神々がいいところを持ち寄り、自分の役割を果たし、協力しながら問題を解決してゆく様が描かれていると言っていい。

日本人の行動の本質を知ろう

今回は古事記についてこれ以上詳しくお話することは避けるが 、古事記は姿形、考え方、特技など、それぞれ全く異なる神様同士が相手の良いところ優れたところを認め、尊重し合い、新しいものを生み出す様子が描かれていて、まさに現代の日本人も行って来た、世界の良いところを認め、取り入れ、融合し、より良いものへと変化させることにより、世界でも希な地位を築いて来た行動の本質が語り継がれている。

「令和」の和は、聖徳太子がおっしゃった「和をもって尊しとなす(やわらぎをもってたっとおしとなす)」と読む言葉が意味を良く表していると思うが、和とは皆同じ価値観、方向性、考え方という意味ではなく、皆違うけど違うもの同士が良いところを出し合い協力することで、新しい素晴らしいものが出来上がるという意味だそうだ。

この和の心が日本人のいろいろな行動に現れていると知らなくてはならないだろう。

神社に神様はいるのか?

私は3年ほど前から藤原五摂家の一つである二條家に弟子入りをして香道を習い、神道を學んでいる。その中で氣付いたり、理解したことをいくつか紹介したい。

ここからはあくまでも私見であることを申し上げておきたいが、神社に神様はいらっしゃらないであろうということがまず感じたことである。
神社には神様は常駐していないが、私たちが神社に神様を下ろして来て手を合わせるのだと思う。
神様は自分の中にいるとでも言えば分かりやすいだろうか。

分かりやすい有名な例え話を紹介したい。
神様を信じるあまり死んでしまった男の話だ。


昔、ある村に信心深い男が住んでいました。
ある時、大洪水の危機が訪れ、村人達はこの信心深い男に一緒に避難しようと誘いました。
ところがこの男は「きっと神様が助けてくれる。そのためいつも多額の賽銭をしているんだ。」と断ってしまいました。

やがて水嵩はどんどん高まり、家が水に浸りました。
と、そこへ丸太が流れてきました。
村人達は、「その丸太に掴まって早く逃げろ!」と叫びますが、男は、「なに、大丈夫、大丈夫、神様が助けてくれるから」と笑っています。

水はどんどん高くなり、男は屋根に。
と、そこへ、小さなボートが通りかかり、「さあ、早くこれに載って逃げましょう」と助けようとしますが、男は、「なあに大丈夫。 神様が助けてくれるんだから」とこれも断ってしまいます。

やがて、屋根の上の男の胸あたりまで水が…。
と、そこへ、救助のヘリコプターが近づき、ロープを降ろしましたが、男はこれにも、「いえ結構ですよ。神様が助けてくれますから」と断ってしまいます。
…やがて洪水は家もろとも男を呑み込み、男は死んでしまいました。

さて、天国へ昇った男は神様に会いました。
男は不満気に「なぜ助けてくれなかったのですか。あれほど深く信心し、賽銭も喜捨してきたのに」と言うと、神様は怪訝な顔つきをして、こう答えました…。

「何言ってるんだ。三度も助けてあげたじゃないか。一回目は、丸太を流してあげた。これじゃ頼りなくて可哀想かもと思って、二回目にはボ-トを出してやった。これでも覚束ないかもと、三回目にはヘリコプターまで動員してやったじゃないか。神の助けを拒んだのは君自身じゃないか。


これを読んでみて皆様いかがだろうか?

最近神社ブームで、御朱印帳片手に神社をスタンプラリーのように巡っている方もいらっしゃるようだが、神社に行って願い事が叶うのは、神社の神様にお賽銭をあげ、御朱印を頂いたからではない。

神様を自分自身の中に見つけて下ろして来るのに良い場所が神社であり、そこで手をあわせて思い描いたことが自分自身の潜在意識に刻まれ、それを実現するために自分が動き出すきっかけを頂いたから他ならないのだと私は考えている。

皆様はいかがだろうか。年始に神様について考えていただけるきっかけになれば幸いである。

 

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