弁護士

江口 正夫

1952 年生まれ、広島県出身。東京大学法学部卒業。弁護士(東京弁護士会所属)。最高裁判所司法研修所弁護教官室所付、日本弁護士連合会代議員、東京弁護士会常議員、民事訴訟法改正問題特別委員会副委員長、NHK文化センター専任講師、不動産流通促進協議会講師、東京商工会議所講師等を歴任。公益財団法人日本賃貸住宅管理協会理事。

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この執筆者の過去のコラム一覧

2021/07/10

被相続人の預貯金の払戻しと遺言

Q 先日、長らく入院していた父が亡くなりました。

相続人は母と私達3人の子、それに父には前妻との間に男性の子(長男)がおり、全員で5人の相続人ということになります。私の母は、身体が弱く、医療施設に入所して治療を受けていますが、母の医療費は父が支払ってくれていました。

父が亡くなり、母の医療費をどうやって捻出するかを、私達3人の子で話し合った結果、父の預金を払い戻して、その支払いに充てようということになりました。
しかし、前妻の子は、自分は父の長男だし、現在、事業を経営しており、資金が必要なので、父の預金は自分が相続したい、この時点で、預金を母のために払い戻すことには賛成できないと言っています。


せめて、母と私達3人の子の法定相続分だけでも払い戻しをして、母の医療費に宛てたいのですが、相続人の一人でも反対されれば、払い戻しは一切できないのでしょうか。


1 相続法の改正と預貯金の取り扱い

わが国では、もともと預貯金は可分債権であるとして、相続人は、各自の相続分に従い、被相続人の預貯金の払戻しを受けることが認められていましたが、平成28年12月19日の最高裁の決定により、預貯金債権も遺産分割協議の対象となるとの判断が示され、預貯金債権は相続人の全員一致で遺産分割協議が成立しない限り、払い戻し請求ができないことに変更されました。
平成31年7月1日から改正相続法が施行されましたが、改正相続法は、上記の最高裁の決定を踏襲し、改正相続法のもとでも、預貯金債権は遺産分割協議の対象財産であるとされています。

しかし、その結果、被相続人である先代経営者が負っていた債務を弁済する必要がある場合や、御質問のケースのように、被相続人から扶養を受けていた相続人の生活費や施設費を支出する必要がある場合であっても、共同相続人全員の同意を得ることができなければ、預貯金の払い戻しが一切できないということになりかねません。これでは相続人が困ってしまうことになります。
そこで、改正相続法のもとでは、遺産分割成立前でも相続人が預貯金の払戻を受けることが可能となる制度が認められています。
それは、各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち、その相続開始の時の債権額の3分の1に当該共同相続人の法定相続分を乗じた額については、単独でその権利を行使することができるとする制度です(改正相続法909条の2)。

ただし、これには各金融機関ごとに上限がさだめられており、各共同相続人が1つの金融機関から払い戻しを受けられるのは150万円までとされています。

例えば、X銀行に対して3,000万円の預金がある場合は、その3分の1の1,000万円について、各相続人が自己の相続分の割合で払戻を受けることができますので、御母様の場合は、1,000万円に自己の相続分の2分の1を乗じた額、つまり500万円まで払い戻しができそうですが、X銀行に対する払い戻しの上限は150万円なので、御母様はX銀行から150万円の払戻を受けることができます。

他のお子様は、1,000万円に対する各自の相続分、すなわちその8分の1をそれぞれ払い戻しを受けることが可能です。


それでは、御父様の遺言があり、X銀行の預金は前妻の子である長男に相続させると記載されていた場合は、他の相続人は、預金額の3分の1に法定相続分を乗じた金額の払戻しを受けることはできないのでしょうか。

この払い戻しは「遺産に属する預貯金」について認められていますので、遺言でこの預金を御長男に相続させると定められると、「遺産に属する預貯金」には該当しないことになります。
ただし、改正相続法では、相続させる遺言であっても、対抗要件を備えないと、遺言による取得を第三者に対抗できないと定められましたので、相続の方々が払戻し請求をした時点で、ご長男がX銀行に対し、遺言書の内容を示して、自分がその預貯金を相続した旨を通知していない場合(対抗要件を具備していない場合)は、X銀行は遺言がないものとして、相続人への払戻をすることができます。

遺言がある場合は少し複雑になりますので、専門家の方に御相談されるとよいと思います。

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