蔵茂 暉大

ファイナンシャルプランナー
長野県で生まれる。
大学時代は東北地方で過ごし、旅行会社への就職を夢見て独学で国家資格である「旅行業務取扱主任者」を取得するが銀行員だった父親の影響もあり大手地方銀行に就職。
旅行業界の知識も生かし現職では全国に顧客を持つ。

この執筆者の過去のコラム一覧

2021/07/10

本物とは何か?

よく「本物を見たい」と言うことがあると思う。
私も勉強会などで皆様に是非「本物」と付き合ってください。「本物」を見てきてくださいなどとオススメすることがある。では「本物」って一体なんだろうか?

リアルで会う人は本物で、リモートの画面の中は偽物?生は本物で手が加えられたものは偽物?などと考えていくと、やがて「本物」って何だかわからなくなってしまう。
私は日本文化や歴史を習っているが、これを教えてくださる師匠は「本物」だと、いつも側にいるだけで感じる。
なぜそう感じるのか
私なりに考えてみることが「本物」とは何かという答えに近づくことができるかも知れないと考えて、深く考えてみた。

まずは感じるままに本物について語ってみたい。

「歴史の真実」とは?

師匠は私に、嘘のない可能性が高い真実の歴史を毎月教えてくださっている。
歴史とは、書物で残っているものは、時の為政者が自分に都合よく書き換えているのでかなり本当にあった事実とは違う言い方で書かれていることがあるのだという。
それに対して、代々口伝で伝えられている事実の方が正しいのだそうだ。

「本物の感謝 本物のお詫び」とは?

私はお稽古事を通して、日本の歴史や文化を學び人に伝えたいと考え、先ほどから登場する師匠の弟子として活動しているのだが、私には妹弟子がいる。
ある時妹弟子の失敗を相談され、その失敗を二人で相談して、私の親しくさせて頂いている方に協力をお願いしリカバリーすることにした。

問題はここからだ。
その事実をうまく隠蔽できたと思ったのだが、直ぐに師匠にばれてしまった。
師匠に叱られたことはいうまでもないが、師匠は隠蔽したことや失敗したことに対して叱ったわけではなかったのだ。
表面上はそれを直ぐに師匠に話さなかったことを叱った。しかしこのお叱りはもっと奥が深いものだった。理由を教えてくださった。

その方の協力により私たちの失敗が何事もなかったかのように終わったのだが、師匠がそれについて報告を受けていないと、次に協力くださった方と話すときに協力頂いたお礼と迷惑をかけたことに対するお詫びの言葉を言えないからだと!

昔からの日本の文化を引き継いで来た師匠は、弟子の失敗は自分の失敗として他人からなんと言われようとも責任をとるとおっしゃる。
でも報告受けていないと責任を取れないのだという。会社の上司がこんな人だったらどんなにいいかとちょっと思ってしまった。

こんなエピソードもあった。
あるイベントの片付けをしているとき、師匠から運んでと手渡された箱を私は落としてしまった。中にはかなり貴重なものが入っていたが壊してしまった。
私が一生かけて弁償しますと詫びると、君が弁償出来るような代物ではないし、運んでと手渡し、手を離れた瞬間もしそれが壊されても信じて渡した者の責任だから。「形ある物はいつか壊れる」そのタイミングが今来たということに過ぎないと。

それよりこの事件によって、私が人のものを預り運ぶ責任はどんなものか理解しこれから氣をつけてくれるようになるだろう。
そのことの方がずっと価値があることだとおっしゃった。この事件以来 私は本当に物を壊さないように氣をつけるようになった。


また師匠は私のお客様に会うといつも「弟子の◯◯がお世話になっております」と深々頭を下げて、これからも◯◯をよろしくお願いいたしますと本氣モードでおっしゃってくださる。
近くにいるだけで、人に何か伝える時は心から相手のことを思いやり、それが言葉となって溢れて来るのだなと思う。
これらが本物の「お礼」「お詫び」そして「日頃の感謝を伝える」ということなんだと、私もこの歳になって學ばせて頂いている。

今までなんとなく「いつもお世話になっております」というご挨拶が恥ずかしいような氣がしていて、本氣で言えてなかったかもしれない。
失敗した時、相手に謝らなければならない時、なんとなく言い訳をし、取り繕う自分がいたが、本当に申し訳ありませんでしたと取り繕うことなく心から謝ることができるようになった。

また自分を助けてくださっている方のことを、是非よろしくお願いいたします!と言うのも、心から相手に伝えたいと思いながら言えるようになった。
歴史、文化を學ぼうと弟子入りしたのに、人としてのあり方を先に學ぶことになった

これが今年日本という国が建国されて2681年の長い間、脈々と受け継がれて来た日本人のあり方なのかもしれない。これからも守って行きたいものである。

リモートの弊害

コロナ禍になって最近強く感じることがある。
学校、職場、家族間でさえもリモートがいいとの風潮がある。これからはリアルの人同士の接触は減り、リモートで何でも事足りる。リモート万能論とも言える論理が語られるようになってきた。
私もリモートのお陰で仕事上、お客様に会わなくても何でも仕事が進むように体制が整い多大なる恩恵を受けている一人ではあるが、今だからこそ皆様にお伝えしておきたいことがある。

人間は地球上の動物の一種にすぎない

人間は地球に生息する動物の一種である。
だから人間が地球を支配している訳でも、地球は人間のものでもない。生物である以上、生物同士は直接触れ合うこと以外に本物の意志疎通はできない。
ましてやリモートで意志疎通が完璧にできると思ったらとんだ勘違いだろう。

今一瞬のコロナ禍によって、子どもたちに本物の意志疎通の仕方を教えなくなっていいのだろうか?
今一瞬のコロナ禍のせいで、本物の感謝を伝えることをできないままビジネスが行われて、目先の利益ばかりを求めるのが仕事と勘違いする人が増えやしないだろうか?
人間同士が離れて触れ合うことをやめましょうと言っていて、自分たちを養っている地球のことをわかるだろうか?
コロナ禍だからこそ人間同士、人間と他の生物、そして地球と本氣で触れ合うことを考える時ではないだうか?

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