【まごころ通信】 第62話 自分はだれ? by小峰裕子

繁忙期に入り、店内も慌ただしくなってきました。例年3月中旬あたりから忙しさとの追いかけっこですが、春のお彼岸もちょうどその頃、重なりますね。

お墓の前で手を合わせると、なぜだかホッとします。お彼岸だからと言わず、もっと気軽にお墓参りができたら良いのですがそうもいかず。せめて自宅で毎朝ご先祖様を敬い、安らかでいて下さいと祈る気持ちは必要かなと感じます。

私たちはひとりで生まれてきたわけではなく、もし両親が別な人と結婚していたら自分は自分ではないし、祖父母が、曾祖父母が...と思うと、運命の赤い糸を感じます。仕草や考え方に、ふとDNAを思い知らされることがありませんか?それは紛れもなく血筋であり家系です。家系は家族の軸でありプロセスだとすれば、「一代で成し得ないことを親子三代で」実現させてしまうことも出来るわけで、それは希望という良い感情が連鎖して作り上げた家族の物語です。これ、悪いことも家族の感情連鎖の現れだと考えると、自分の考えや行動は子々孫々にまで影響を及ぼすことだと気が付きます。「こんな親戚がいた」とか「こだわり(ルール)」など知れば知るほど、今に繋がる家風というか文脈が浮かび上がって面白いです。

「自分はだれ?」。お墓参りに行くとホッとするのは、自分とは何者なのか、自分はこういう人間だというアイデンティティを強く感じるからではないでしょうか。核家族化で血筋や家系が顧みられることは少なくなりましたが、自分らしさのベースにあるのは良くも悪くも家族であり家系です。代々受け継がれてきたなんて大げさに意識することがなくても、ご先祖様の赤い糸に感謝して手を合わせると良いことがありそうな気がします。