【まごころ通信】 第44話 志賀海神社と阿曇(あずみ)族 by小峰裕子

遡ること3年あまり、ふと思い立って志賀海神社を参拝しました。車だとつい窓を開けたくなる「海の中道」を渡り志賀島に入ると右前方、小高い山の中腹に神社はあります。

人影はそれほどなくて、本殿を参拝した後「亀石」や「鹿角堂」などゆっくり散策。ところが立て札に書かれた由来を読んで驚きました。神功皇后のお名前が記されています。伝説の人物、応神天皇のお母さんです。

そんな高貴な方がなぜ志賀島までやって来たのか、それは「三韓征伐」のためです。神功皇后は身重の身体で軍を率い、海を渡ったと言われています。その際、舵取りを務めたとされるのが海の民であった阿曇氏、阿曇磯良その人でした。博多湾沿岸を拠点とし、対馬海峡や玄界灘を庭のようにして暮らしていたのでしょう。国宝の金印が出土したのは志賀島です。阿曇磯良は、軍事だけでなく大陸との交流の窓口として重要な役割を占めていたことがわかります。時代が進み、やがて阿曇族は歴史の舞台から姿を消してしまいますが、志賀島から全国に散ったとされる場所には安曇・厚見・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として、今も残っているのでした。

そもそも三韓征伐や神功皇后は、架空の作り話との説もあります。ただ、私たちの地元やその周辺には神功皇后にまつわる地名も多いですし、

神社の祭事として継承されてもいます。神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられるほどの志賀海神社。宮司は代々阿曇家です。参拝して古代史のロマンを探訪してみるのも楽しそうですね。開門は朝6時、日の出の頃がおすすめです。