【まごころ通信】 第46話 伝える力 by小峰裕子

話芸とはこのことだったのか!10年ほど前でしょうか。突然、落語の魅力に目覚めました。友人から「落語のチケットが回ってきたから行かない?」と誘われたのですが、最初の関心はもっぱら終わった後の食事でした。

それまで落語といえば、古くさい噺をお年寄りが楽しむものぐらいに思ってました。落語家は「桂歌丸」始め数人の出演でした。テレビに出ている人を眺めに行くぐらいの気分で、おそらく退屈な時間になるだろうと決め込んでいたらびっくりです。新しい世界がポッカリと現れたのです。

演者である落語家は、物語の登場人物を巧みに演じ分けます。座布団に座ったたったひとりの落語家を見ているはずが、自分の目の前に物語の世界がどんどん広がって見えてくるのです。舞台セットはありません。声の抑揚、顔の表情、間の取り方、気がついたら勝手に想像力が働き出し、タイムマシンもないのに脳内が江戸になっていて、笑いあり人情ありからの観客との一体感ある話芸に酔いしれました。その日の最後の演者は桂歌丸師匠でしたが、絶妙なアドリブや「艶」と言ってもいい言葉以外の表現力は圧倒的で、磨きがかかった話芸は「伝える力」そのものと素直に感動しました。

それからというもの、毎年、博多・天神落語まつりに出かています。落語家は「笑点」や、バラエティ番組に出ている人だけではありません。関東だと「三遊亭」「林家」「桂」「柳家」などがありますが、師匠が違いますから個性豊かです。本当はホールではなく、「寄席」で木戸賃を払い気軽に楽しみたいのですが、その時は願わくばもう一度、桂歌丸師匠の噺を聴いてみたいモノです。