【まごころ通信】 第8話 他人事(ひとごと)との関わり方 by小峰裕子

先日のことです。空き缶をひとつ拾って捨てました。飲みかけのジュースが入っていましたが、4~5日置きっ放しで気になっていました。不思議に思ったのは、パトロールや清掃委託作業の際、ゴミの不法投棄は必ず気がついて処分している皆さんが、なぜ空き缶に気がつかなかったのか、ということです。置かれていたのは会社の駐車場のブロック塀です。毎日皆さんはそこを通っているはずだからです。

「対岸の火事」ということわざがあります。川の向こう岸の火事はこちらまで移らないから安心していられる、自分に関係がなくて痛くもかゆくもないことのたとえです。周りがどのような状況にあってもどこ吹く風です。皆さんは清掃パトロールでゴミを拾い、町内清掃でゴミを拾い、宅建協会のボランティアで志賀島のゴミ拾いをしています。しかし作業時間が終わると無関心になってはいませんか?

確かにゴミが落ちていても、管理物件の敷地内でなければ他人事です。苦情の電話がかかってくることもありません。問題があるとすれば、ゴミが落ちていることではなくて、ゴミを見つけたのに、知らないふりをして通りすぎる無関心の心なのです。もしも、普段の生活の中からゴミを拾える人が増えたら、その人からまちがいなく変わりはじめるでしょう。ゴミを見つけるたびに拾うのが当たり前になったならば、その街は必ず美しく輝くでしょう。そして自分の街を大切に思うようになるでしょう。

「一日一善」。街を愛する人が増えたら国を愛する人も自然に増えます。「ゴミが落ちている」という他人事と言えば他人事に、皆さんはどう行動しますか?他人事との関わり方によってその人の一面がわかったり、人として成長の余地に差が出るように思うのです。無関心なひとは気付きが生まれることも学ぶこともないからです。