【まごころ通信】 第40 話 仲良く by小峰裕子

太宰府天満宮に行ってきました。勉強会の仲間と本殿に昇殿させて頂き、祈願してもらいました。代表しての玉串奉奠は、大変緊張しました。予習して行けば良かったです。

権禰宜の松大路信潔氏に境内を案内して頂き、講話を聴きました。「古事記」を中心に日本の成り立ちを学んだのですが、奥深さを知るほどに「なぜ誰も教えてくれなかったのだろう」と思います。今回はその一端を書きます。

「古事記」を読んだことがなくても、「因幡の白ウサギ」などの神話や、「イザナギノミコト、イザナミノミコト」「ヤマトタケル」といった、日本の神様の名前を聞いたことはありますよね。アーノルド・トインビーという歴史学者は、世界中の民族を研究して「12~13歳までに自国の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」と発表したそうです。神話だけでなく、私たちは近代史の教育も受けていません。講話を聴きながら、私は日本人としての価値観を作らず今日まで来たことに気がつきました。他人(他国)と仲良くするためには、自分(自国)を知り大切にすることです。自分を大切にできない人に、他人が何を大切にしているかわからないのと同じです。「大切にしているのが何かわからない人(国)」ほど信用できないものはないでしょう。価値観、つまり信念がない人(国)だからです。

菅原道真公が太宰府に左遷される時、周りの方々も付いてこられたそうですが、今も太宰府天満宮をお守りしていらっしゃるのはその子孫の方々です。37代目権禰宜の松大路氏は「すべては神様、そしてご先祖様からの、そして子孫のための預かりもの」と語られました。樹齢千年を超える楠に悠久の時を想います。

 

 

【まごころ通信】 第39 話 もうひとつの工夫 by小峰裕子

「工夫をこらす」「工夫次第」などと、日常的に使われる「工夫」という言葉。実は、禅語から来た言葉だということを知りました。禅語における工夫の意味は、「一心に修行に励むこと」だそうです。

座禅が「静の工夫」なら、作務は「動の工夫」とされているそうです。ということは、修行というものはじっと座っているだけでは、達成できないものなんですね。お寺の屋内外を清めることは、修行としての「動の工夫」になるのです。福井県の永平寺というお寺で、隅々まで磨き込まれ廊下や塵ひとつ落ちていない階段を歩きながら、とても静謐な気持ちになったことを思い出します。

わたし達の仕事で「静の工夫」はというと、それは「学び」だと思います。「宅地建物取引士」は国家資格ですが、他にも「不動産コンサルティングマスター」や「サーティファイド・プロパティー・マネージャー(CPM)」といった認定資格でありながら、高度な知識を学ぶ場もあります。ただ、資格があるから仕事が出来るわけではありません。「論より証拠」ともいいます。知識だけで仕事をしている人の話しより、実務体験が豊富な人の話のほうが、聴いていて身が入るのはいうまでもありません。察するにそれは車の両輪のようなもので、実務という「動の工夫」が伴わなければ、私たちの成長はないのでしょう。

さて、皆さんは「静の工夫」「動の工夫」のバランスは取れていますか?考えるばかりでは前に進みません。全力で動くことも工夫です。永平寺ではないですが、静と動の調和が取れると、気持ちがピンと張って清々しいと思いますが、どうでしょう。 季節は春です。一心に学び、そして行動を起こしましょう。応援しています。