【まごころ通信】 第7話 四十にして惑わず、五十にして… by小峰裕子

「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」ご存じのように論語の一節に出てくる言葉です。二千五百五十年も前に生きた孔子の言葉ですが、今もたくさんのことに気づかされます。偉い人です。

三十歳にして立つとは、而立(じりつ)とも言いますが立ち位置を確立することです。四十歳になると「不惑」と言い、悟りが開け、人生に疑いがなくなることを意味します。あれこれ迷うな、ということですね。たった一度しかない人生です。迷わずにさっそうと生きていくには、やはり二十代からの積み重ねは大切なようです。

好きで選んで力を注いできた道との自負がありながら、自分が満足できてこれからも続けられる場所が得られなかった四十歳は迷います。人生の行く先に希望が見出せないないでしょう。趣味や家庭など他に自己実現できる場がある人は、それで構わないのです。人の幸せは、職業や地位や世間でいうところの成功不成功ではありません。ここで伝えたいのは、四十歳の自分がこれから自信を持って進む道があるのか、ということです。

では三十代はどうでしょう。三十代は成熟した四十代のような振る舞いを必要とすることもあれば、若者のような勢いも持ち合わせる柔軟で繊細な年代です。相手次第と言ってもいいくらいです。戸惑い、四十代と二十代を迷いつつも自分を見失うことなく、日々過ごすことが大切なのだと思います。三十歳にして立つ=自分を確立していないとできません。

二十代の社員さんたちは、人に迷惑をかけなければ好きなことをやって下さい。必要なら私ができることはして助けます。なぜなら社長も私も二十代の時、たくさんの先輩達に助けてもらったからです。五十歳にして天命を知るとは、人間の力を越えた運命を知ることなのですね。

 

【まごころ通信】 第6話 「嫉妬と羨望」についての考察by小峰裕子

今日は少し怖いテーマについて考えてみましょう。「嫉妬」と「羨望」です。似ているようですが、実は違います。嫉妬は「嫉み(そねみ)」と「妬み(ねたみ)」というネガティブな漢字です。女性の場合は幸福のレベルに、男性の場合は覇権争いに嫉妬心を燃え上がらせると言います。対する羨望は望む・望ましいという漢字が示すように、「自分もそうなりたい」と思う前向きな感情です。ヒーローに憧れるような気持ちでしょうか。生き方や行動を真似してみたくなったりします。嫉妬はそうではありません。優れた人、恵まれた人を憎みます。その人が幸せな気持ちでいるだろうことを憎み、自分が持ってないものを持っていることへの切望と絶望にさいなまされます。では、この嫉妬という怪物の正体は何でしょうか。それは詰まるところ自己愛だと思うんですね。なので、気づかず放置してしまうと暴れ出して自分をコントロールできなくなるんです。自己愛は無限ですから。報復に莫大なエネルギーを消費することもあるでしょう。自己愛との戦いは苦しく惨めです。つまり、怪物の大半は対象となる人ではなく、自分自身なのです。

この嫉妬という罠にはまらないための、心がけがあるとすれば何でしょうか。それは「謙虚さ」だと思っています。「足を知る」と言い換えても良いかもしれません。足りていれば譲ることもできます。幸・不幸は他人からもたらされるものではなく、自分の中にあります。この先も、人の幸せを心から喜べる皆さんであって欲しいと願っています。

 

 

【まごころ通信】 第5話 「凡事徹底」by小峰裕子

「凡事徹底」。当たり前のことでも徹底してやり続けることが、強さに繋がると信じています。今回はひとつ、うれしかったことを取り上げてみましょう。事務所のトイレを皆さんは毎朝掃除します。以前はブラシでちょこっと擦った程度かな、くらいの掃除しかできていませんでした。ところが最近は、手洗い器の水あかもなく給水管も磨かれ、手を拭くペーパーの容器の埃も取り除かれています。トイレ室内全体が、それは美しく清掃されているのです。そうしたら、今度はトイレットペーパーの切れ端が三角に折られるようになりました。最初は朝だけでしたが、近頃はいつでも三角に折られています。素晴らしいことです。

当たり前のことが当たり前に出来る皆さんでありましょうと、言い続けています。これまで社員さんと言えば男性だけでしたから、「そんなものだ」と、苦言を呈されたこともありましたがどうでしょう。いつの間にか、出来るようになっています。私はすっかり美しくなったトイレに対し、窓のブラインドが不釣り合いに古くなっていることに気がつきました。ついでにトイレカバーも新しいものに取り替えたのは言うまでもありません。

汚れた場所、乱雑に散らかったところは、丁寧に使用する気持ちも生まれにくいかもしれません。それぞれがやりたいように、やっているだけの状態です。一方で、美しく整った場所だと、ひとりひとりが出来るだけきれいに使おうと心がけると思うんですね。何より、そこにいることが心地よいと感じます。そして次に使う人も気持ちよく使えるように元通りにし、少し手を加えたりすることだってあるのではないでしょうか。

これが気配りです。皆さんひとりひとりが気配りの出来る人であれば、すなわち会社全体が気配りの出来る会社です。清掃、整理整頓のみならず、「元気よくあいさつ」「電話は笑声で」「お礼は心を込めて」等々、何となくでは何となくの結果しか出ません。凡事こそ徹底です。

 

 

【まごころ通信】 第4話 「仕事と人生のマナー」by小峰裕子

我が社はよく皆さんと一緒に食事をします。他の会社と比べても間違いなく多い方でしょう。管理先のイタリア料理店に出かけた時のこと。皆さんは自分自身のテーブルマナーを気にしていましたが、私は周りを不愉快な気持ちにするようなことがなければ、自然にしていれば良いと思います。ただテーブルマナーを知ることで、自分がより食事を楽しめるようになるのも事実です。

堅苦しく考えずに言えば、マナーは生活の仕方、スタイルだと私は思っていて、仕事にも人生にもマナーがあると考えています。より仕事を楽しむためのマナーは、好きなことをやることです。好きなことをやり遂げるためなら、苦しさも乗り越えられます。オリンピックに出場するようなアスリート達だって、好きだからやってこれたのです。嫌いな仕事をやっているひとが成長するはずありませんよね。私自身、不動産の仕事を通じて知識を得、仲間を得、お金を得ています。とても幸せなことです。信じられないくらい貴重なことなのです。仕事に感謝しています。嫌いな仕事を嫌々するなんで、仕事に失礼です。人生へのマナーも同じです。毎日好きなことをやることです。そうすれば、あなたに必要な知識が入ってきますし必要な人と自然に出会うようになるでしょう。「好き」はあなたとって、すべてのモチベーションを上げてくれるキーワードです。「最高の人生だった」と最後に言えることこそ、人生に対する最高のマナーであると思うのです。ちなみにマナーを身につけることは歯の矯正より難しそうなので、子どもの頃から一貫して身につけさせておくとよさそうです。自然と幸せなほうへと導かれますよ。

 

【まごころ通信】 第3話 「以徳報徳」by小峰裕子

去年の宅地建物取引主任者資格試験は、かつて私たちと一緒に働いてくれたK君が見事合格を果たしました。主任者証を見せに訪問してくれたK君はとてもうれしそうで、こちらまで晴れがましい気持ちになりました。

「なぜ勉強しなくてはならないの?」みなさんも学生だった頃に、一度くらい考えたことがあると思います。「自分のために」というのがその答えです。つまり、私たちは一切「自分のために」なるように行動しています。運動をするのも健康でいたい「自分のために」、働くことも家族を守り子どもを育てる結局は「自分のために」行っています。私は私のために生きている。それはとても素晴らしいことです。

ただ、私たちは自分だけで生きているのではなく、すべて生かされていることに思いを巡らせてみてください。水も空気も、美味しい食べ物や果物も、美しい花が咲くことも、すべて宇宙の生成力によるものです。これを「天徳」というそうです。言い換えれば「天徳」は、私たちがこの世に生を受けて以来ずっと豊かさを与え続けていてくれているということです。「以徳報徳」、徳を以て徳に報いん、というのは孔子の言葉ですが、「恩恵には恩恵を」と解釈されています。気がついていただけたでしょうか。皆さんには、どんな小さな事でも良いから「誰かのために」ひとりひとりが出来る事をして欲しい。人はいろいろな立場や能力、そして財産があります。その自分ができる範囲内で出来ることをすればいいし、直接できなければ、している人を何らかの形で応援してあげられるようになって下さい。

K君は宅地建物取引主任者としてお客様の信頼に応えていくため、これからも勉強を怠ることがあってはなりません。日々働くことも勉強をすることも資格を取ることも「誰かのために」。プロとして信頼を得、「ありがとう。あなたのおかげです。」と言ってもらえるような経験を積み重ねてください。そして社会人として実りある日々を過ごして欲しいと願っています。

 

 

 

【まごころ通信】 第2話 「自分をディスカウントしていないか?」by小峰裕子

「謙虚」は日本人の美徳とされています。辞書によると、「謙虚」とは自分の能力や価値を低く評価することで相手の能力や価値を相対的に高めるという、日本ならではの人間関係を表す力学だそうです。

自分より優れた資質を持つひとや結果を出すひとを誰もが認める気持ちを持っていて、だから自分自身が評価された時、比べてしまってとっさに引いたりしてしまうんですね。もちろん結果は自分の力だけではありませんし、目に見えないサポートのおかげだということは理解できます。それは正論ですし、謙虚さは自惚れという感情の対局にある、理性に置き換えることもできます。

確かに適度な謙虚さは会話を潤滑にしてくれますが、がんばって出した成果なのに「わたしなんて○○なだけです」「全然ですよ」なんて会話は、「謙虚」を飛び越して自分自身をディスカウントショップのごとく割り引いているのと同じで、自分の成果を自ら軽んじることと等しいのではと考えています。この先、皆さんが自分の力で前に進みたいのなら自問自答してみて欲しい。

自分をディスカウントしていないですか?

心理学には承認欲求といって、自分を認めてもらいたいという感情があるそうです。なのに、そんな自分を一番認めてないのが自分自身だったりするから現実はやっかいですね。せっかくあなたを認めてくれる相手の言葉を、たまには真に受けてみませんか。幸せは天からとか誰かからとか、与えてもらうものではなく自分の心で感じるものです。感度を高めてくれるのは、照れくさくてとっさに引いてしまうような、あなたへの評価や励まし、賞賛の言葉ではないでしょうか。

さて、新しい年が始まります。承認してくれたひとに共鳴し触発を受けることはあなたがさらに伸びるために、必要なことだと思っています。

 

 

【まごころ通信】 第1話 「履きものを揃える」 by小峰裕子

「靴を脱いだら揃えましょう」

皆さんも子どもの頃、親や祖父母から言われたのではないでしょうか。次に履くときに履きやすいように、他人から見て見苦しくないように、というのが理由ですが、実は禅語の「脚下照顧」という言葉にその由来があるそうです。

「脚下照顧」という禅語の意味を調べてみました。脚下とは自分の足元のことです。つまり毎日の生活の中で自分の足元を顧みなさい、ということを表した言葉ですね。自分が置かれた立場や自分の姿をよく見極めなさいと教えてくれているわけです。

簡単そうで本当はむずかしい事かもしれません。例えば向いてない仕事を言いつけられて憂鬱になったり、自分中心の人に振り回されて泣きたくなったり、ストレスを感じてしまうことは誰でもあります。そんな時、自分が置かれている現状をつい、相手のせいにしてしまってはいませんか。苦しいときは自分が置かれた立場や自分の姿など、見つめる気持ちのゆとりなんてなくなってしまいがちなのです。

思い通りにいかないとき、人のせいにして理屈や不満ばかり言っているひとは、「私はゆとりがありません」と言っているのと同じです。思い通りにいかなくても、理想に届かなくても、あなたはあなたです。ならば一歩引くつもりで心にゆとりを持ってみませんか。そして自分の立ち位置を見つけてみましょう。そうすれば自分に軸ができて前に進めることでしょう。「履きものを揃える」、たったこれだけの小さな心のゆとりが生み出す力、結構すごいと私は思います。

はきものをそろえると 心も揃う

心が揃うと はきものも揃う

ぬぐ時に揃えておくと

はく時に 心が乱れない

だれかが乱しておいたら

だまってそろえておいてあげよう

そうすればきっと

世界中の人の心もそろうでしょう

 

 

 

 

セミナー開催のお知らせ。

台風も被害少なく通り過ぎ、ほっと一安心ですね!

ほっとするのもつかの間、やることは沢山あります!

みなさんもお忙しい中かと思いますので、先約を入れさせてください。

当社セミナーのご案内。参加費1,000円、(コーヒー・ケーキ付)

コーヒーとケーキ付けちゃったらケーキセットの金額でためになる話が付いてくることに・・・・・・。

今回は、「認知症になったら」をテーマにお話させていただきます。

とはいえど、認知症になった後ではなく認知症になる前にできる事前の準備がメインテーマですね!是非お誘いあわせの上、お立ち寄りください。

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相続「ちょっといい話」 終活は家族のために!

8月8日(月)10:00より箱崎公民館に於いて

相続「ちょっといい話」終活は家族のためにを開催致しました!

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猛暑にもかかわらず、約60名の松寿会の皆様のご出席をいただきました。

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箱崎の話に始まり、相続、エンディングノート、家族信託と内容は盛りだくさんでした!

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最後までご静聴頂きありがとうございました!