【まごころ通信】 第14話 グローバル・スタンダード by小峰裕子

グローバル・スタンダードとは、金融を初め技術や会計基準などの分野で国際的な一定の標準・規則を示す用語です。「共同体としての物差し」と捉えればわかりやすいですね。では、不動産という共同体・枠組みの中で、私たちはどのような立ち位置にいるのかを検証してみたいと思います。

賃貸物件をお預かりすると、実に様々な仕事が飛び込んできます。物件もそれぞれ、入居者もそれぞれですから、一つの物差しで物事を判断することはできません。新人さんが苦労するところですね。結果、満室経営が持続し、オーナー様の満足に繋がることで評価を頂くことが出来るわけです。いわば主観的な判断で行う、アナログ的管理運営手法です。

それに対してグローバル・スタンダードの物差しは1本です。客観的でデジタル、誰にでも分かりやすい手法だと言えます。たとえば「利回り」です。不動産からどれくらい収益が上がっているかを利回りで示せたら、他の不動産との比較が出来ます。(ROEといいます)金融商品との比較だって出来ます。つまり「資産」のひとつとしての不動産という考え方まで、出来るようになります。

私たちの仕事は、直接グローバル・スタンダードに関与していない、むしろ真逆とも言えるローカル・スタンダードの真骨頂です。しかしローカル・スタンダードの価値を備えてこそ、グローバル・スタンダードのマーケットに入っていけることに気がついて下さい。両方を備えたハイブリッド不動産こそオーナー様の資産拡大への道であり、私たちに管理を任せて頂いている理由と考えて下さい。お預かりする物件の質的向上へと、常に目標を持つことが必要なのです。

 

【まごころ通信】 第13話 人生相談 by小峰裕子

車で移動中はラジオを付けていて、「テレフォン人生相談」というコーナーがあり、何となく聴いています。親子関係、夫婦、友人、仕事、学校、お金、健康、とそれぞれですが「みんな悩んでいるんだなあ」と感じます。

前向きに意欲を持って生きていこう、などとありきたりのことを言うつもりはありません。確かに上手くいく人は目標に向かって努力を怠らず可能性に挑戦し、結果と自信を手に入れます。ただ、それは私を含め多くの人にとってやさしいことではないんですね。人生相談とまでいかなくても、思い通りに行かないことを思い知らされる月々だったりします。

そんな時、ずいぶん前に読んだ「ゾウの時間・ネズミの時間」 という本を思い出すことがあります。動物は体のサイズが違っていても一生に打つ心臓の回数はほぼ同じで、打つスピードが違うのだそうです。同じ空間にいても全く違う時間を過ごしているんですね。つまり時間が違えば世界観も違ってくるという内容でした。

こんな風に自然界の、たとえば地球とか宇宙とかのスケールからすれば、私たちは小さな居場所でくよくよ悩みながら長生きしてせいぜい100年の、笑ってしまうくらいちっぽけな存在です。でも、それが「わたし」に他ありません。だからこそ小さな出来事を大切にして生きていく、時に人生相談さながらくよくよ悩んでも悲しんでも、目の前に起きることを受け入れようと考えるようにしています。

新しい年が皆さんにとって素晴らしい1年となりますように。

【まごころ通信】 第13号 来年の手帳 by小峰裕子

来年の手帳、皆さんはどのような書き込みをしましたか?1年は365日、時間にすれば8760時間です。時は金なりと言いますが、大切に使いたいものですね。生きていくために必要な睡眠を7時間と仮定します。(4時間しか眠らないすごい人もいます)すると、255時間使いますから残り6205時間です。仕事延べにして毎日8時間とすると、2880時間。そのほか移動や家事育児、入浴など身の回りの事等々時間を費やしますが、皆さんも計算してみて下さい。ちなみに私は5時間?ということで1825時間使って残り1500時間です。365日で割ると…何と1日4時間も自由に使える時間があります!そうそう、食事時間が入っていませんね。1日3食として1年たったの1095回。いつ誰と何を食べて時間を過ごすかは結構人生を左右する事だと考えているので、あえて自由時間にしました。(1日1食のすごい人もいます)

この世に生を受けて、家庭や経済力はたまた容貌など、決して平等とは言えない環境で私たちは歳を重ねます。しかし唯一等しく与えられているのが『時間』です。ならば、『やるべき事』で来年の手帳を埋め尽くすのではなく、『やりたい事』を書いてみませんか?どんな自分になりたいですか?どんな仕事をしてみたいですか?やりたい事と今の自分とのギャップを正確に冷静に測り、自分だけの課題を見つけましょう。1年後、必ずやりたい事が実現してますよ。  来年は私たちの会社は創業50周年を迎えます。会社としてやりたい事は「前に出よう!」そのためにやるべき事は「皆さんの幸せ実現!」です。

 

 

【まごころ通信】 第12話 勝負 by小峰裕子

現代は競争社会です。10年前よりずっと加速しているようにも感じます。日本は資本主義ですから、競争に支配されるのは当然ですし、少なからず当社もその中にあります。つまり勝つことが求められているんですね。

皆さんには売上のノルマはありません。ただ成果としての業績給もありますから、店長を筆頭に色々智恵を絞ってくれています。智恵を出すのは結果を出すため、それ以外は自己満足です。必要なのは「本番で勝利する」ことなのです。勝負は避けては通れません。

実は日常の雑務に小さな勝負事はあったりします。信頼のおける電話の応対、正確な契約書の作成、行き届いたクレーム処理、些細なことでも勝ちにこだわってみて下さい。やがて「こうすれば勝てるんだ」という確証を得ることが出来るはずです。そして責任を持たされ大勝負に立ち向かえるようになるのです。ただ、その頃はおそらく「相手を打ち負かしてやろう」という気持ちはないはずです。なぜなら勝負の相手は「自分自身」だからです。勝っているのに逆転負けしたり接戦で負けてしまうのは、あたまの片隅で「勝てるわけがない」「今回もダメだろう」と考えていたりしませんか。自分に負けずにいられたらいいですね。

負け癖を封じ込めるには、毎日とは言いませんがあえて緊張を自分に課すのもひとつです。そして勝負するのです。勝負事を避けずに、ぜひ勝利の女神(名前はニーケーと言います)とお友達になって下さい。ちなみにスポーツブランド「NIKE」の名の由来は、勝利の女神「ニーケー」にあるそうです。

 

【まごころ通信】 第11話 仕事に対する10パーセントの不安  by小峰裕子

スポーツの秋ですね。皆さんが好きな野球は、クライマックスシリーズが始まりリーグ優勝そして日本シリーズと盛り上がり、話題に事欠くことはなさそうです。一方でひと頃活躍した選手の引退が伝えられるなど、ファンとしては寂しさを感じる頃でもあります。                              現役を退くアスリートは、その理由として「競技者としての限界」を口にします。一流のアスリートは、勝利し続ける武器を持っています。しかし、いつの頃からか次第に通用しなくなり、やがて自分の役割が終わったことを自覚するのですね。もしかすると、これは仕事にも共通することではないでしょうか。「このやり方だと上手くいく」「ここが勝負のしどころだ」。仕事において優れた結果を出す事が出来る人は、ビジネス感覚という武器を必ず持ち合わせていると思うんです。ただ感覚は永遠ではありません。日常に流され、雑音に惑わされ、錆びたり衰えたりしますよね。筋肉と同じで日々の鍛錬がやはり必要なんです。仕事に自信を持つことはいいことです。ただ、「あれ?」と思うときがあるんです。それは大切にしなければいけない感覚で、流されてはいけません。方向性を誤ってしまいかねない事態に陥るからです。私は仕事に対していつも少しばかり不安を感じているくらいがちょうどいいと思います。少しばかりというのはどの程度かというと、30%だとツメが甘い感じがしますから10%くらいでしょうか。このバランスが日々の鍛錬に繋がるのかなと感じつつ、いつの日か引退のタイミングを思う日が来るのでしょう。やり切ったとか満足したとかではなく、自然に思えるようになるのかもしれません。

 

 

【まごころ通信】 第10話 「面と向かって」話すということ by小峰裕子

ホークス率いるソフトバンクグループは、今年6月に世界初の感情認識ロボット「ペッパー」を開発中と発表しました。話しかけると目が合うのだそうです。人がロボットとより良い関係を築くためには「目が合う」ことが重要と位置づけた訳です。

ある日のこと、知人からご連絡を頂きました。「小峰さん、こまめくんを送ってくれてありがとうございます。がんばってますね!」反響を頂くと俄然元気になります。嬉しいことに、その方もニュースレターを始めたと教えてくれました。「では私にもお届け下さいますか。メールかFAXで」とお願いしたところ、その方は「いえ、私がお届けに参ります」と言うのです。多忙な方です。驚きました。

時々しか作らないし、お届け先も多くないからと言われましたが、一番の理由は「面と向かって話がしたい」からだそうです。参りました。現代を生きる私たちの通信手段は実に多様です。しかし、そういう手段を持たない時代の人々の繋がりは、希薄だったでしょうか。思いやりや感謝の気持ちは届きにくかったのでしょうか。違いますよね。

携帯画面に向かって話しかけても感情移入はできません。どれほど便利な通信手段でも所詮、文字は文字、写真は写真です。それが面と向かい目と目を合わせて話をすれば、相手の気持ちを考えて話すことが出来ます。得られる情報の量と質が圧倒的に違うのです。皆さんも取引先とは出来るだけ面と向かってお話しできるよう時間をやりくりしてみてはいかがでしょうか。「目は口ほどにものを言う」ともいいますよ。皆さんの誠実な気持ちと仕事が実を結びますように。

 

【まごころ通信】 第9話 お箸の国に生まれたから。 by小峰裕子

日本人にとって箸は誕生(生後100日のお食いはじめ)から葬送(骨上げ)、お供えのご飯の箸立てまで、実に長いお付き合いです。「箸は命の杖」とも言われる所以ですが、古来、箸は「神様と人間が共食する神聖な道具」として取り扱われ、人間と神様の橋渡し役でもありました。祭祀で折箸(トングのようなもの)が使われることはありましたが、そもそも食事は手掴みでした。

変化は7世紀初頭、聖徳太子は朝廷の食事に箸を使うよう命じます。当時、日本は超大国であった中国から、仏教や政治等の学問だけでなく対等な国交樹立への道筋をつけようと遣隋使を派遣していました。かの有名な小野妹子は言いました(かも)。「太子様やばいです!中国という国は食事の時は箸を使ってますよ。このままでは我が国は野蛮国のレッテルを貼られます!」何しろ聖徳太子は自らを「日出ずる国の天子」とまで言い切るほど、高飛車で上から目線の親書を遣隋使に持たせていました。牽制パンチとも言える外交戦略をとった聖徳太子にとって、馬鹿にされることは国家存亡の危機なのでした。こうして箸は「祭器」から「食器」になりました。

このように、箸食は中国から伝来し、8世紀初めに一般にも広まりました。生活革命です。その後、漆塗りの技術を施した塗箸や元禄箸、おもてなしに使用する天削げ箸、利久箸など日本の食文化に伴い、様々な箸が生み出されてきました。また、手軽で使いやすい「割箸」は、江戸末期に酒樽の端材を用いたのが最初と言われています。割れていない箸を食事を始める前に割る行為が、清潔でけじめを重んじる日本人気質に合っているようで広く普及しました。

世界中で箸食の国は東南アジアを中心に30%ほどだそうです。しかし、箸だけで食事をする完全箸食国は日本だけです。食事を始める前にお箸を両手の親指に挟み、「いただきます」は言えてますか?8月4日は「箸の日」です。平穏に食事できることへの感謝の気持ち、食べ物への感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。

 

【まごころ通信】 第8話 他人事(ひとごと)との関わり方 by小峰裕子

先日のことです。空き缶をひとつ拾って捨てました。飲みかけのジュースが入っていましたが、4~5日置きっ放しで気になっていました。不思議に思ったのは、パトロールや清掃委託作業の際、ゴミの不法投棄は必ず気がついて処分している皆さんが、なぜ空き缶に気がつかなかったのか、ということです。置かれていたのは会社の駐車場のブロック塀です。毎日皆さんはそこを通っているはずだからです。

「対岸の火事」ということわざがあります。川の向こう岸の火事はこちらまで移らないから安心していられる、自分に関係がなくて痛くもかゆくもないことのたとえです。周りがどのような状況にあってもどこ吹く風です。皆さんは清掃パトロールでゴミを拾い、町内清掃でゴミを拾い、宅建協会のボランティアで志賀島のゴミ拾いをしています。しかし作業時間が終わると無関心になってはいませんか?

確かにゴミが落ちていても、管理物件の敷地内でなければ他人事です。苦情の電話がかかってくることもありません。問題があるとすれば、ゴミが落ちていることではなくて、ゴミを見つけたのに、知らないふりをして通りすぎる無関心の心なのです。もしも、普段の生活の中からゴミを拾える人が増えたら、その人からまちがいなく変わりはじめるでしょう。ゴミを見つけるたびに拾うのが当たり前になったならば、その街は必ず美しく輝くでしょう。そして自分の街を大切に思うようになるでしょう。

「一日一善」。街を愛する人が増えたら国を愛する人も自然に増えます。「ゴミが落ちている」という他人事と言えば他人事に、皆さんはどう行動しますか?他人事との関わり方によってその人の一面がわかったり、人として成長の余地に差が出るように思うのです。無関心なひとは気付きが生まれることも学ぶこともないからです。

 

 

【まごころ通信】 第7話 四十にして惑わず、五十にして… by小峰裕子

「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」ご存じのように論語の一節に出てくる言葉です。二千五百五十年も前に生きた孔子の言葉ですが、今もたくさんのことに気づかされます。偉い人です。

三十歳にして立つとは、而立(じりつ)とも言いますが立ち位置を確立することです。四十歳になると「不惑」と言い、悟りが開け、人生に疑いがなくなることを意味します。あれこれ迷うな、ということですね。たった一度しかない人生です。迷わずにさっそうと生きていくには、やはり二十代からの積み重ねは大切なようです。

好きで選んで力を注いできた道との自負がありながら、自分が満足できてこれからも続けられる場所が得られなかった四十歳は迷います。人生の行く先に希望が見出せないないでしょう。趣味や家庭など他に自己実現できる場がある人は、それで構わないのです。人の幸せは、職業や地位や世間でいうところの成功不成功ではありません。ここで伝えたいのは、四十歳の自分がこれから自信を持って進む道があるのか、ということです。

では三十代はどうでしょう。三十代は成熟した四十代のような振る舞いを必要とすることもあれば、若者のような勢いも持ち合わせる柔軟で繊細な年代です。相手次第と言ってもいいくらいです。戸惑い、四十代と二十代を迷いつつも自分を見失うことなく、日々過ごすことが大切なのだと思います。三十歳にして立つ=自分を確立していないとできません。

二十代の社員さんたちは、人に迷惑をかけなければ好きなことをやって下さい。必要なら私ができることはして助けます。なぜなら社長も私も二十代の時、たくさんの先輩達に助けてもらったからです。五十歳にして天命を知るとは、人間の力を越えた運命を知ることなのですね。

 

【まごころ通信】 第6話 「嫉妬と羨望」についての考察by小峰裕子

今日は少し怖いテーマについて考えてみましょう。「嫉妬」と「羨望」です。似ているようですが、実は違います。嫉妬は「嫉み(そねみ)」と「妬み(ねたみ)」というネガティブな漢字です。女性の場合は幸福のレベルに、男性の場合は覇権争いに嫉妬心を燃え上がらせると言います。対する羨望は望む・望ましいという漢字が示すように、「自分もそうなりたい」と思う前向きな感情です。ヒーローに憧れるような気持ちでしょうか。生き方や行動を真似してみたくなったりします。嫉妬はそうではありません。優れた人、恵まれた人を憎みます。その人が幸せな気持ちでいるだろうことを憎み、自分が持ってないものを持っていることへの切望と絶望にさいなまされます。では、この嫉妬という怪物の正体は何でしょうか。それは詰まるところ自己愛だと思うんですね。なので、気づかず放置してしまうと暴れ出して自分をコントロールできなくなるんです。自己愛は無限ですから。報復に莫大なエネルギーを消費することもあるでしょう。自己愛との戦いは苦しく惨めです。つまり、怪物の大半は対象となる人ではなく、自分自身なのです。

この嫉妬という罠にはまらないための、心がけがあるとすれば何でしょうか。それは「謙虚さ」だと思っています。「足を知る」と言い換えても良いかもしれません。足りていれば譲ることもできます。幸・不幸は他人からもたらされるものではなく、自分の中にあります。この先も、人の幸せを心から喜べる皆さんであって欲しいと願っています。