【まごころ通信】 第69話   お金持ちになりたい by小峰裕子

皆さんは、お金持ちになりたいと思いますか?また、いくらぐらいあればお金持ちといえると思いますか?そして自分はお金持ちになれると思いますか?

お給料が突然アップするようなことはないですが、私は皆さん全員お金持ちになれると思っています。近道は自分の時給が高いとか安いとか、そんなことは気にしないことです(え~?!)

大学で不動産の講座を何コマか担当していたときのこと、就活の相談を受けることもある中で、数名の学生さんは「お金持ちになりたい」と言うではないですか。若いうちに目標を持つことは良いことです。一攫千金の夢は夢として、不祥ながら3つの心がけを伝えました(小峰説)。ひとつはどんな場面でも「あなたがいてくれて良かった」と思って頂ける仕事をすること。それは素晴らしい「貢献」であり、相手の感謝は形を変え、やがて大きな対価へと結びついていくことでしょう。そして現状を誰かのせいにしないこと。いつだって、そこが自分のスタート地点なのです。さらには、働くことは学ぶことでもあります。お金のために自分の時間を売るのではなく、将来の基盤を築くつもりで就職先を選んで欲しいと伝えました。お金持ちになるには、時代遅れとも言える泥臭さも必要だと考えるのです。

皆さんもお客様から「あなたがいるから」と言って頂けるようになれたら、それは自分の力で稼げる人になった証拠です。その時、皆さんは今よりお金から自由になっていることでしょう。もちろん身の丈を超える暮らしを望み続ければ、お金に不自由なままですけどね。一攫千金を狙っている人には遠い道かもしれません。

【まごころ通信】 第68話   ホームグラウンドの証 by小峰裕子

夏休みも終わり、子供達の元気な声が学校に戻ってきました。「行ってきまーす」「行ってらっしゃい!」。慌ただしい朝の光景です。帰ってくれば「ただいま」「お帰りなさい」。相手がいるから、かけることができる素敵な挨拶言葉です。

「行って」+「来ます」=行ってきます。
「行って」+「いらっしゃい」=行ってらっしゃい。
これ、由来はふたつの言葉がひとつになった日本語で、外国にはこういう決まったフレーズはないそうです。面白いですね。

日本語は、対話から日常表現が成り立つ言葉が多く存在するらしいです。例えばそのひとつ、「行ってきます」は「○○に行きます」、だけど無事に「帰って来ます」と、その場にいる人に必ず戻ってくることを約束している対話が短く略されている言葉なのだとか。一方の「行ってらっしゃい」の「いらっしゃい」は、店先で「いらっしゃい!いらっしゃい!」と呼びかけるように「来て!」の尊敬語です。つまり「行って」も無事この場所に「帰って来て」「帰って来て」と願う言葉なんですね。そして帰ってきたときは「只今」そのままに、無事に戻ってきてくれることを「お帰りなさい」「お帰りなさい」と唱えて待つ人に対して、「ただいま!」と、たった今戻ったことを告げているわけです。案じてくれる相手への感謝の気持ち、言葉の温もりを感じます。

「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」。そりゃ、なじみの焼き鳥屋さんから声かけられることもありますよ。近所のお子さんと「お帰り」「あ、ども」なんてやり取りも。ただ良い言葉ですよね。家族でも他人同士でも、何気なく挨拶を交わすその場所はホームグラウンドである証です。

 

大洋不動産社内報「こまめくん第78号」より抜粋

 

 

【まごころ通信】 第67話  夏の定番ソング  by小峰裕子

夏です。夏は大人になった今も特別な力があるようです。昭和、平成、令和と時代が移り変わる中で多くの夏ソングが生まれました。皆さんも「これ!」という定番夏ソングがあるのでは?

「夏が過ぎ 風あざみ誰のあこがれにさまよう青空に残された 私の心は夏模様」

井上陽水の代表曲「少年時代」の一節です。立秋を過ぎると海辺にあれほどいた人がまばらになり始め、蝉の声がやがてツクツクボウシに変わり、いつの間にか夜になると虫の音が聴こえるようになり、夏が終わろうとしていることを知る、あの感覚。郷愁を誘われる、世代を超えた夏の名曲だと思います。

そして今や笑い話ですが、サザンオールスターズのデビュー曲、「勝手にシンドバッド」も夏ソングのひとつに数えられるそうですね。ただ当時は一発屋と受け止められていました。

まもなく始まる夏の甲子園テーマ曲も耳に残ります。歴代の曲がどれほど歌い継がれていくのかわかりませんが、球児にとっては忘れられない1曲になるのは間違いないでしょう。ちなみに今年はOfficial髭男dismの「宿命」でした。

楽しかった記憶がいっぱい詰まっているからでしょうか。お祭りや花火、海、ドライブなどキーワードが散りばめられた夏ソング。聴くと、あの頃の夏の光景がよみがえります。バブル世代イチ押しの1曲は矢沢永吉「時間よ止まれ」。さて、皆さんの夏の定番ソングはなんでしょうか。暑くなると聴きたくなる、そんなおすすめの夏ソングで短い夏を思いっきり楽しみましょう。

【まごころ通信】 第66話  「AI」と「愛」  by小峰裕子

休みを利用して、携帯電話の機種変更をすることにしました。予約をしたお店に入ると、笑顔のスタッフがカウンターの外に立って迎えてくれます。「おいで頂き、ありがとうございます」。

20代とおぼしき若い男性でした。何と素敵な挨拶でしょう。「ご来店頂きありがとうございます」でも良いのですが、「おいで頂く」という響きに温かさを感じて、うれしくなりました。

人工知能(AI)の時代が進めば、世の中から単純作業が消えてしまうと言います。現象をデータとして数値化できれば、人間が判断するより圧倒的に早く処理できてしまうからです。その範囲は飛躍的に拡大していて、物の区別や手書きの文字まで認識できるそうです。私たちはいたる場所で店員さんのマニュアル化された接客に慣れて久しいのですが、それこそプログラムされたのと同然であり、AIやロボットに移行することもあるのではと考えさせられます。ただAIは理屈では割り切れないことへの対応は苦手です。「気配り」「心配り」、「り」を取ってみればいつの時代も必要とされる人は変わらないと思うのです。「気配から判断する」「心配して差し上げる」。これができる人なら、むしろ相対的に価値は上がり、仕事は増え続けることでしょう。

あるファストフード店では、年長者のマニュアル化されていない接客が評判を呼んでいるのだとか。ベースにあるのはおそらく「気配り」「心配り」。「AI」ではなく、「愛」があるからマニュアルに止まらない態度や言葉が自然と出るのでしょう。不動産業界にしても、データをかき集めて少し気の利いた分析程度なら、もうAIがやってくれています。しかし集めたデータに仮説を立て検証し、伝えるという仕事は残ります。大切なのはお客様に対する「愛」。感謝や愛が伝わらなければ、その仕事はないのと同じです。

【まごころ通信】 第65話 支えてもらう側にできること by小峰裕子

今回は皆さんの老後、そして日本の姿について、お金という側面から考えてみます。まず老後と言えば年金ですが、その受給額はどう決まるのでしょう。

これ、物の値段や現役世代の賃金が上がれば年金受給額も上がるという「物価スライド方式」という仕組みが基本です。そこに2004年の法律改正で、物価や賃金の上昇に応じて増える受給額を自動的に抑制する仕組みが導入されました。「マクロ経済スライド方式」といいます。

仮に物価上昇が続いた場合、調整が入る分だけ年金額の上昇が追いつかない状況になっていきます。厚生労働省の試算によれば、調整は「経済が順調に発展すれば」2043年まで続くとしています。つまり年金だけでは生活が困窮する可能性が高く、若い世代ほどお金は「貯める」のではなく「運用」で増やさなければ間に合わなくなるといえます。現役世代の負担を減らすための調整とは言え、少ない子ども達に支えてもらう社会の現実です。

ただ、私たちは子ども達に支えてもらうことに甘んじることなく、圧倒的に多い高齢世代の数の力で経済を回し、社会に還元して次世代の子ども達を育むことだって出来るはずです。来月から始まる「しあわせ倍増サロン」は、お客様が安心して資産管理と運用に取り組めるよう、公正中立な情報提供の場として開かれます。祖父母や父母の世代は、戦争を乗り越えて私たちに豊かさをもたらしてくれました。日本の未来を信じ、子どもやお孫さんがお金で悩まず幸せに暮らせるように、健全な資産づくりは必須の情勢です。とりわけ不動産は長期投資、他の資産とのベストミックスが肝心。大洋魂を持ってお客様、そしてより良い明日に貢献して参りましょう。「しあわせ倍増サロン」いよいよ始まります。

大洋不動産不動社内報「こまめくん75号」より抜粋

 

【まごころ通信】 第64話 負けに不思議な負けなし by小峰裕子

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」。これ、名言ですね。江戸時代後期、平戸藩の藩主で名君と謳われた松浦静山(まつら せいざん)が遺した言葉です。

元プロ野球監督の野村克也氏が引用した言葉としても有名で、要は「負けるべくして負けた」ということです。なぜ負けたのか、失敗から学ぶべきことは多いものです。

相続手続きのお手伝いを始めたばかりの頃です。相手方が無理難題ばかり突きつけているような気がして、前に進まず焦っていた時のこと。つい先輩にぼやくと、笑いながらこう言われました。「小峰さん。小っちゃい小っちゃい!相手の言うこと、素直に聞いてみなさいよ」。「こうあるべき」と自分が考えるように相手も考えてくれると思う、お粗末な感情に囚われていることに気が付かされました。上手くいくときは自分に甘く、上手くいかないときは相手に厳しくしていたんですね。悪縁良縁、生かすも殺すも自分次第。自分の考え方や癖、行動プロセスを知り、足りない点は素直に認め、順調なときも奢らず感謝の気持ちを忘れずにいたいと願いながら、未だ修行が足りていません。

頭では分かっているつもりでも、価値観の違いをすんなり認めることはなかなか難しいことです。同じ釜の飯友である皆さんでさえ千差万別なのに不特定多数のお客様となればなおのこと、相手のせいにしてしまったら自分の成長はありません。

ただ、こればかりは具体的に教えるのが難しいんです。皆さんそれぞれご苦労はあるでしょうが、人間力を磨き共感し合える感性を紡いで頂きたいと願っています。思わぬひらめきに救われる日が、きっと訪れます!

大洋不動産 社内報「こまめくん74号」より抜粋

 

【まごころ通信】 第63話 子どもは理解している by小峰裕子

ひょんな事から、子どもを預かるという経験をしました。姪夫婦の子で「3才成り立て」と「ピカピカ小学1年生」という女の子ふたり、ほぼ初対面に近い関係です。

子育て世代のママ達から、ぐずったときの対応や移動中の注意点、子どもが好むお菓子、自宅での過ごさせ方など事前にリサーチして備えましたが「大丈夫か?!」という心境でした。

さあ朝7時、「なに??」と泣きそうになる下の子の気をアイスで紛らわす隙にバトンタッチです。用意した朝ご飯を思いがけず楽しそうに完食してくれて歯磨き。お姉ちゃんは自分でしますが、妹ちゃんはお手伝いが必要です。可愛い!紙パンツが濡れてないかの確認も嫌がることなく身を任せてくれますし、安心した(ふり?)表情でぐずることもありません。それどころかお姉ちゃんが本当によく面倒を見てくれるし、それを褒めると恥ずかしがりつつもまんざらでない様子。やっぱり可愛い!果たして子どもと過ごした10時間余り、問題もなく無事終えました。送り届ける車中では二人とも爆睡です。新居に着いてパパが顔を見せると、下の子は「パパ!」と走り出し泣きべそかいて甘え始めました。やれやれ、気を遣っていたのは子ども達だったようです。

子どもって、大人が思うよりよく周囲の状況を理解してますよね。保育士の話では乳児でも周囲の状況はそれなりに理解するらしく、可能な限り大人がいる場所で過ごしたら良いと思います。そうした体験は脳の奥深くに組み込まれ、大人になって必要な場面で取り出されると聞いたこともあります。泣いているお子さんがいたら一緒 にあやしましょう。まあ、子ど もを連れて歩いていると婆 や世代とよく目が合うし話し かけられたりして、ほっこり新 鮮で幸せな1日でした。

【まごころ通信】 第62話 自分はだれ? by小峰裕子

繁忙期に入り、店内も慌ただしくなってきました。例年3月中旬あたりから忙しさとの追いかけっこですが、春のお彼岸もちょうどその頃、重なりますね。

お墓の前で手を合わせると、なぜだかホッとします。お彼岸だからと言わず、もっと気軽にお墓参りができたら良いのですがそうもいかず。せめて自宅で毎朝ご先祖様を敬い、安らかでいて下さいと祈る気持ちは必要かなと感じます。

私たちはひとりで生まれてきたわけではなく、もし両親が別な人と結婚していたら自分は自分ではないし、祖父母が、曾祖父母が...と思うと、運命の赤い糸を感じます。仕草や考え方に、ふとDNAを思い知らされることがありませんか?それは紛れもなく血筋であり家系です。家系は家族の軸でありプロセスだとすれば、「一代で成し得ないことを親子三代で」実現させてしまうことも出来るわけで、それは希望という良い感情が連鎖して作り上げた家族の物語です。これ、悪いことも家族の感情連鎖の現れだと考えると、自分の考えや行動は子々孫々にまで影響を及ぼすことだと気が付きます。「こんな親戚がいた」とか「こだわり(ルール)」など知れば知るほど、今に繋がる家風というか文脈が浮かび上がって面白いです。

「自分はだれ?」。お墓参りに行くとホッとするのは、自分とは何者なのか、自分はこういう人間だというアイデンティティを強く感じるからではないでしょうか。核家族化で血筋や家系が顧みられることは少なくなりましたが、自分らしさのベースにあるのは良くも悪くも家族であり家系です。代々受け継がれてきたなんて大げさに意識することがなくても、ご先祖様の赤い糸に感謝して手を合わせると良いことがありそうな気がします。

【まごころ通信】 第61話 聖徳太子 by小峰裕子

さあ、新たな年を祝い運気が上がる?話をしましょう。今、1万円札の肖像は福沢諭吉ですが、昭和世代が親しんだといえばやはり聖徳太子です。 聖徳太子は1400年前の飛鳥時代、19歳で推古天皇の摂政となって国政改革に挑み、今に繋がる日本と日本人の礎を築いた偉人です。その肖像がお札に描かれたのは最多の7回、確か5,000円札も聖徳太子だった時代があったように記憶しています。 また聖徳太子と言えばこれ、「和(やわらぎ)をもって貴し(たっとうし)となす」。十七条憲法第一条です。これには続きがあり、現代語訳を紹介します。「人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調や親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ」。つまり理念とするところは「やわらぎ」だけど現実は厳しい、しかし「礼をわきまえて皆で話し合えば出した答えは道理にかないすべてはうまくいく」と示したのです。これが日本の国造り戦略、十七条憲法第一条の本当の意味です。右向け右、多数に従いなさいと言っているわけではなかったのです。第十条ではこうも言います。「他人が自分と違っていても怒ってはなりません。自分は必ず聖人で相手が必ず愚かだということはなく、共に凡人です。良いとか良くないとか、だれが定めるのでしょうか」とあります。「いろいろな人がいても良いではないか」とも取れ、聖徳太子自身の優しさ、深い洞察を感じます。604年、聖徳太子31歳の時です。 お札に描かれる人物は揃いも揃って 偉業を成し遂げた実在の 人です。身の丈に合っ た暮らしをしていれば、 応援しようと必ず集ま ってきてくれますよ。

【まごころ通信】 第60話 器 by小峰裕子

さて、もう幾つ寝るとお正月。たくさんのご縁に支えられたこの1年、皆さんの成長を見定めながら目指すべき会社の方向性と評価軸との整合性を大切に思います。

求められる会社、そして人であるための学びは必須です。学ぶ志はその人の器を物語っていると考えていますが、自らを振り返ってどう感じるでしょうか。

例えば、絶対まとまらないだろうなと思う話をまとめることができる人と、混乱させたり立ち消えになってしまう人とは大きな違いがあります。「木を見て森を見ず」とは良く言ったもので、「この人はこうだ」と決めてかかると、反対に相手の気持ちは離れていくようです。私たちはモノを作ったり仕入れて売る仕事をしているわけではなく、詰まるところプロセスにおける「交渉事」「お願い事」「報告」「譲歩」等々は、すべてクリエイティブでアートな仕事だと思います。どうすればお客さまの望みをかなえて差し上げることが出来るか、心配事をなくし、心が豊かになるような結果を創出することができるのか。相手の言動を謙虚に受け止め素直に見つめていると、話をまとめる法則が見つかるはずです。結果を残す人は自分を押しつけません。アートの世界は1+1=2ではないのです。

学ぶと自分がいる場所を思い知り謙虚になります。また学ぶと自分の至らなさを知り素直になります。つまり学ぶことこそ私たちの「仕入れ」です。学びとは、知るだけでなく体験することを含みます。「知る」と「体験する」はコインの裏表のようなもので、どんな知識も実践しなければ本当に身についたとは言えません。さあ、課題が見つかりましたね。大洋不動産も今より少し大きな器を目指します!

来年もみなさんに毎日幸せが訪れますように。

 

大洋不動産社内報「こまめくん」第70号より抜粋